静珠苑(せいじゅえん) [雑感]
娘が送ってくれと言うので、東苗穂まで車で行く。
途中、十軒神社の前を通ったので、この辺がどうなっているのか、少し気になった。
帰りに、寄り道をしてみる。
十軒神社の横には、十軒会館が昔通りにあった。以前は、私の居住地もここが投票所だった。
そこから、道なりに入っていくと、前は「静珠苑(団地)」(せいじゅえん・だんち)と呼んでいた地区に入る。
すぐ入り口の所に、数年前に知的障害者の施設「草笛館」が出来た。
30年ほど前の話だが、静珠苑団地は、売りには出したが、下水・上水もまだままならない土地で、電気は通っていたのかもしれないが、多くの人は、土地は買ったが、そのまま放置する例が多かった。
篠路の開拓の中では、とても古い歴史ある土地なのだが、近代化から取り残されたような場所だった。
十軒とは、明治初期に開拓に入った家が10軒であったことに由来する。当時は、伏籠川が流れる原始林のほとりで、水や魚には不自由しなかったらしいが、開拓が進むと、鹿や熊の被害で、最初の10軒はすべて引き上げ、後から入居した者の子孫が今も何件か居住しているようだ。
今は、見た目、新しい家が増えているようだ。会社や工場の方が多いかもしれない。道幅も広くなり、車で走るのにも問題はない。
何となく走っていると、丘珠から篠路へ抜ける通りに入った。なるほど、これは抜け道になる。少し儲けものをした気持ちで、帰宅した。
途中、十軒神社の前を通ったので、この辺がどうなっているのか、少し気になった。
帰りに、寄り道をしてみる。
十軒神社の横には、十軒会館が昔通りにあった。以前は、私の居住地もここが投票所だった。
そこから、道なりに入っていくと、前は「静珠苑(団地)」(せいじゅえん・だんち)と呼んでいた地区に入る。
すぐ入り口の所に、数年前に知的障害者の施設「草笛館」が出来た。
30年ほど前の話だが、静珠苑団地は、売りには出したが、下水・上水もまだままならない土地で、電気は通っていたのかもしれないが、多くの人は、土地は買ったが、そのまま放置する例が多かった。
篠路の開拓の中では、とても古い歴史ある土地なのだが、近代化から取り残されたような場所だった。
十軒とは、明治初期に開拓に入った家が10軒であったことに由来する。当時は、伏籠川が流れる原始林のほとりで、水や魚には不自由しなかったらしいが、開拓が進むと、鹿や熊の被害で、最初の10軒はすべて引き上げ、後から入居した者の子孫が今も何件か居住しているようだ。
今は、見た目、新しい家が増えているようだ。会社や工場の方が多いかもしれない。道幅も広くなり、車で走るのにも問題はない。
何となく走っていると、丘珠から篠路へ抜ける通りに入った。なるほど、これは抜け道になる。少し儲けものをした気持ちで、帰宅した。