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蛍光管の交換 [雑感]

 自分の部屋の蛍光管4本が全部ダメになったので、買い換えた。

 3本がつかなくなり、残りの1本で我慢していたのだが、本も読みづらく、そろそろ交換と思っていたら、最後の1本もつかなくなった。これではどうしようも無いので、ホームセンターに買いに行った。
 LED全盛の時代だから、売っているのかどうか気になったが、普通に売っていた。グロー管と共に、20型4本組みを買う。
 家に戻って交換すると、見違えるように明るい。まあ、当たり前だが。
 これで本を読むのも少しは進むだろうか。今日は、『ファインマンさん 最後の授業』と筒井康隆の『モナドの領域』を買った。筒井康隆はほとんど読んだことが無いが、これが最後の小説だという。もう81歳なのだ。子どもの頃、中学コースという雑誌に載った「時をかける少女」を読んだことがある。ラベンダーという言葉が、不思議だった。
 蛍光管を、前に交換したのは何年前だったろう。次に交換が必要になるときは、蛍光管そのものがもう無いかもしれない。

 追記
 政府は、2020年をめどに、白熱灯と蛍光灯の製造・輸入を禁止する方針だそうだ。
 蛍光灯の平均寿命は1万時間だそうだから、自分の部屋なので、1日3時間使って3,333日間使える。9年と少しだ。その頃にはLED照明が主流になっているだろう。その時はLED用の照明器具自体の交換が必要になる。
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指の怪我 [健康]

 四日ほど前に指を切った。

 朝、コーヒーカップを台所の水切り棚からとるときに、何か刃が当たって、右手の人差し指と中指の皮膚が数カ所切れた。あとで確認すると、ミキサーの刃だった。最近買い換えたので、切れ味も最新だったようだ。
 ティッシュで抑えて圧迫するが、出血が止まらない。着替えもなかなか出来ないので、家を出るのが遅れる。傷テープを巻いたが、まだ出血する。
 中指の内側の2センチ程の傷が一番深く、ちょうど板書や採点で、チョークや赤鉛筆を使う時に当たる場所なので、傷口が開くようだ。ごく少量ではあるが、二日ほど血が止まらない。
 昨日あたりでやっと出血も止まった。出血が止まらなければ傷口を縫ってもらいに形成外科に行こうかとも考えていたが、今日は、傷テープを取って、液体絆創膏を塗った。白くふやけた皮膚にすっと切れた傷口があって、血の跡も無くなんとも痛々しい。晩になると、皮膚の色も元に戻り、傷口もそれなりになってきた。液体絆創膏を使うのは初めてだが、なかなか良いものだ。消毒効果もあり、指の場合、手洗いも不自由ない。傷テープだと、布部分が濡れてしまうので、交換しなければならない。
 人の体は、治そうと働くのだな、と改めて思った。わたしの腹部には20センチの切開のあとがあるが、これも治っている。
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柳家のたいやき [雑感]

 札幌柳家のたいやきを食べた。

 今日は午後に授業が無かったので、給食を食べたあと、年休を取って帰った。
 帰宅途中に柳家でたいやきを買った。過去の記事を見ると、8年ぶりになる。東区の住宅街の中にある店で、探しづらいが人気店だ。水・木が定休日で、開店時間は午後2時から6時まで。餡が無くなり次第閉店。
 先日、伏古のふたばのおやきを食べたので、たいやきが食べたくなったのだ。たいやきは市内でも結構あちらこちらで売られているが、ほとんど縦2列に並んだ型に生地を流し込み、餡を挟み込んで焼く(これを「養殖」ものと言うそうだ)が、柳家のたいやきは、一つ一つが長い金属の棒がついた独立した型で焼く(これを「天然」と言う)。北海道では、多分ここでしか無い。特徴は、皮がとても薄いことで、ところどころ餡が皮からはみ出している。
 開店の2時をほんの少し過ぎていったのだが、すでに3人ほど客がいた。10本の型で焼くので、そんなに一辺にたくさんは出来ない。焼き器の上には10本の型を時間を少しおいて並べてあるのだろう。店主から見て一番右の型のたいやきが焼けたら、取り出して、空になった型に油を塗り、生地を入れ餡を載せてその上に生地を重ね、型を閉じて、一番左に置く。量は目分量でも経験で計算されたとおりの量が入っているのだろう。焼き上がりの時間も感覚で分かるのか。すでに作り置きは無く、一個一個焼き上がるのを待つ。焼き上がりのテンポは速い。前の客は5個買っていった。わたしは、息子の分とで2個。一緒に店をやっている奥さんが、経木で1個ずつ包んでくれた。1個140円(税込み)。粒あんのみで、他のメニューは無い。甘納豆は売っている。餡は、前日仕込んで翌日使うそうだ。午前中は翌日の分を作っているのだろう。
 家に帰って食べたが、8年前を思い出す味だ。甘さはそれほどくどく感じない。皮は薄いがもちもちしている。続けて2個でも食べられる感じだ。
 店主は、1964年札幌に当時勤めていた東京人形町柳家の看板をしょって、デパートの出張販売に来たのがきっかけで、他のデパートの地下食品売り場の出店を請われて札幌に残り、1985年から本店から許しを貰って独立し、今の場所で店を始めたそうだ。そうすると、70歳くらいなのだろうか。まだまだお元気で、店を続けて欲しい。
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給食のカレー [学校]

 担任が一日外のスキー授業でいないので、副担任のわたしが学級の給食につく。

 今日は、カレーライスがメインで、あとサラダと果物、牛乳。
 このクラスは、お代わりをするのが慣例になっているようだ。ご飯が米飯缶(バット)の三分の一ほど余っていたのだが、係の合図で、立ってくるお代わりをする生徒が20人近くいて、ご飯もカレーのルーもかなり少なくなった。生徒の皿を見ると、山盛りにしているものもいる。よく食べられるものだ。平均的なカロリー量は、中学校では一食820キロカロリーなのだが、それをはるかに超えているのでは。
 とは言え、わたしも普通に盛った一皿分を食べ、もう少し食べることが出来そうだと、残っていたご飯を皿四分の一程盛ってルーをかけて食べた。
 今のわたしの口には、給食のカレーの辛さがちょうど良い。以前は、辛さが足りずに、ガラムマサラを買っておいて、かけて食べたりしていたが、癌の放射線治療以来、味覚が変化したのだ。ご飯もおいしい。道産米(「ななつぼし」)を使っているという。
 最終的には、残滓はほとんど無くなった。これは、まあ平均的には、みんな必要量をとったと言うことだろう。給食は、炭水化物が結構ガッツリ出される。
 給食でお代わりをするのは、何年ぶりだろう。それでも、4時頃にはお腹が空いてきた。まだ、昼食から3時間しか経っていないのに。
 ともあれ、食欲が出てきているのは良いことだ、最近は、夕飯のあとで、おやつも食べている。
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給食費 300円 [学校]

 生徒・教職員から徴収する給食費は、今は一食300円(中学校)だ。

 6年前に同じような記事を書いたときは、280円だった。消費税の3%アップや円安による食材費の増でそうならざるを得ないのだろう。これは、食材費分だけで、もちろんこれだけでは給食は出来ない。
 給食を作る調理員(外部委託・直営)の人件費、光熱水費、調理器具の導入、補修等の経費は、市の税でまかなわれている。
 1食250円くらいになるのではないか、と当時の栄養職員は言っていたが、実際はどうなのだろうと調べてみた。
 札幌市の平成26年度予算を見ると、学校給食費が5,269,596,000円、学校給食衛生管理推進事業費が77,000,000円で、計5,346,596,000円となっている。市内にある義務教育校は小・中・特別支援学校計303校で、児童・生徒数が134,455人。それに教職員が5,000人ほどだから、給食を食べている人数はおよそ140,000人。年間の給食数は、授業のある35週×5日で175日間。実際は祝日、行事等でもっと少ないが。分かった数字だけで計算すると、一食約220円になる。これが市の税負担で、結果給食1食は520円ほどとなる。実際には、年間の食数はもっと少ないので、もう少し上がることになる。もちろん、トータルは変わらない。
 でも、給食費を年間53億円以上を市税からだしているのを知ると、もっと他のことに使ったら良いのにと言う気もする。と言うのも、32年前に初めて赴任したときの中学校では、牛乳だけの給食で、弁当だったからだ。それで特に問題は無かった(弁当を他人に食われるという事件が希にあった)。高校・大学・会社では、給食のあるのはごく一部で、弁当か学食か売店か食堂で全額自己負担だ。(そう言えば、あるホテルでは、従業員は専用食堂で、一食200円で食事が出来るそうだ。メニューは4品と少ないが。この場合は、給食に近いと言えるかもしれない。)
 もっとも、学校給食法があり、義務教育では、給食が実施されるよう定められているから、無くすのは困難なのだろう。もちろん、親からの反対も多いだろうし。
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腹部大動脈瘤破裂の根治 [健康]

 腹部の造影CT検査に行ってきた。

 昨年8月20日に腹部大動脈瘤破裂のため人工血管置換手術を受けてほぼ半年経つので、経過を見るためだ。
 1階の再来機械で受付をして、1階のCT検査室に行くが、2階の心臓血管外科外来で、造影剤を入れるための針を入れてきて下さいと言われる。受け取ったファイルを受付に出して待つが、予約診察で、時間通りに行っているのになかなか呼ばれない。30分くらい過ぎて、やっと針を入れて貰い(一回入れてダメでやり直し。看護師は恐縮していた。)、1階のCT検査室前で待ち、さらに30分。検査が始まったのは、1時間遅れだった。検査自体は10分くらいで終わる。
 廊下で待っている間に、キャンプ仲間にたまたま会ったのには驚いた。会社の同僚が倒れたので、救急車で付き添ってきたという。少し話をして、同僚の家族が来たとのことで別れた。
 2階の外来待合で、針を抜いて貰うのを待つが、その前に診察に呼ばれた。手術時の主治医だが、「問題ないです。根治です。」と言われる。画像を見せて貰うが、腹部の横断面で、人工血管の位置や縫合部分もよく分かる。ただ、左腰部の腸腰筋の形が歪んでいる。大動脈からの出血で変形し、中に血腫が出来ているそうだ。血腫は次第に吸収されるが、治るにはしばらくかかるとも。完治なので次の診察は無し。ただ、何かあったら来て下さいと言われた。
 今通って薬を出して貰っている病院への今回撮ったCT画像のコピーを頼んだので、少し待って、腕の針をとって貰うときに、看護師さんから会計のファイルと手紙と共に渡される。
 会計が済んだ後、12時を回ってたので、お昼は病院の1階のコンビニでサンドイッチと牛乳を買って、コーナーで食べた。入院中は、車椅子や歩行器を使って、新聞などを買いに来ていたのだ。今は杖も使わずに歩いているのだから、良くはなっているのだな、と感慨深かった。
 午後は、学校に行って、一週間放置していた学習コンテストの答案の採点をした。先週は、授業だけで体力的に精一杯で、その他のことは何もやれなかったのだ。受け持ちの全クラス、4クラス分終わる。
 お腹のことは心配しなくて良くなった。ただ、腸腰筋内に残った血腫による腰痛は続くので、これが無くなるのを待つばかりとなる。鎮痛剤もまだ続く。
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一週間 [学校]

 一週間が、何とか終わった。

 月曜から授業が始まり、体がもつか心配だったが、授業だけは休まずに済んだ。日に日に階段を上り下りするのが辛くなり、続けて授業のある時は、2階の職員室に戻らずに、4階にそのままいた。午後に授業が無いときは年休を取って帰って、家で寝ていた。
 来週はもう少し体が慣れることを願う。

 話変わって、今日の給食のメインは、カレーシチューだった。今日は「カレーの日」なのだそうだ。1982年に全国学校栄養士協議会が学校給食開始35年を記念して「カレーの日」と定め、全国の学校でカレーを給食として出したそうだ。
 カレーシチューも考えると不思議な献立で、家ではほとんど食べることが無い。スーパーでカレーシチューの素など見たことがない。食堂にもまず無い。考えると、昔は米飯給食は無かったので、パンに合うように、カレーだけでは濃すぎるので、カレーにシチューと牛乳を入れ伸ばしたものを作ったのだろう。これならパンに浸してでも、別々にでも食べることが出来る。今は週に3回は米飯なので、ご飯にカレーをかける普通のカレーライスも時々出る。今日はお腹が空いていたせいか、カップに大盛りで入ったシチューを全部食べてしまった。
 ちなみに、1週間の残りの3日は、1日が麺、1日がパンだ。元々は毎回パンだけだったが、古米を処理したい国の意向で米飯給食が始まり、また製麺会社の強い意向で麺の給食も始まったそうだ。そのため、例えばラーメンなどは、具の入ったスープに、ビニールの袋に入っているあらかじめ茹で上がった麺を入れて食べるという給食ならではのスタイルになる。そのための給食用の独自の麺を開発したそうだ。何しろ札幌だけでも小・中学生は13.5万人ほどいるから、1日13.5万+教職員分5千で計14万食が消費されるわけで、業界としては取りっぱぐれの無い売り手であり、食材を入れている業者もなかなか手を離したがらないらしい。
 さて、今日も全国の学校がカレーだったのだろうか?
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半年ぶりの学校給食・豚丼 [学校]

 今日から授業だ。

 今日は3クラスで、9時から連続3時間。教室は4階で、階段昇降が辛いので、2階の職員室には途中降りなかった。すぐ次の教室に行き、始業のチャイムが鳴るのを待つ。何とか声は最後まで出たが、3時間立っていると足がすんなり上がらなくなった。給食前に、給食準備の様子を見ようと、階段を上ろうとしたら最初の段から躓いて転んだので、給食を食べた後に、時間年休を取って家に帰って休むことにした。手に何も持っていなかったから、手をついて怪我が無かったが、両手に何か持っていたら、危ないところだった。

 半年ぶりの学校給食は豚丼だった。肉は一枚だったが普通においしかった。
 豚丼とは、北海道の帯広で、1933年(昭和8年)に食堂「ぱんちょう」の店主によって開発されたという。鰻丼を参考に、もっと豚肉をおいしく安く食べられるよう、どんぶりに炊いたご飯を入れ、その上に甘辛いたれをつけて焼いた豚ロース肉を数枚焼いたものをのせて、グリーンピースが数個かかっているだけの、シンプルなどんぶりご飯だが、これがうまい。今も帯広駅前の昔から同じ場所にある「ぱんちょう」には多分5回くらい行っていると思うが、昼は長蛇の列が出来る人気店だ。値段は、一番安い松が900円で肉4枚、一番高い華が1300円で肉10枚。どんぶりからあふれている。持ち帰り用もある。
 もちろん、今では帯広周辺には、豚丼を出す専門店、食堂はたくさんあり、十勝の郷土食と言われている。
 札幌でも一般的になり、専門店もたくさんある。チェーンの各牛丼店も、牛肉の価格が上がったときに牛丼が余り出せないので、豚丼をメニューとして出していた。ただ、多くは牛丼風の調理なので、十勝の豚丼とは異なる。家庭でも、豚丼のたれがスーパーで売っているので、普通に作れる。この際は、学校給食と同じで、豚肉を焼いてから、たれをかければ、それで出来上がりだ。

 こうやって普通の食事をすると、病院の給食はやはりおいしくなかったのだな、と思う。
 患者によって内容は異なるのだが、わたしの場合は、塩分が少なくおいしさを感じることも無く、ただ食べているという感じだった。焼き魚など身がパラパラで食べるのに苦労した。残してもよいのだが、看護師さんが、残量をチェックしているので、余り残すと栄養点滴が増える。わたしの場合は、手術後に経口摂取が出来ない間は、栄養点滴をポンプで入れていたので、数週間で6キロくらい体重が増えた。変だなと思ったが、死なせないためにはそれくらいのことをやるようだ。その後普通に食事が出来るようになって、体液が出たせいか、劇的に体重が減ったが。
 体重が手術前より4キロ減っているので、もう少しおいしくたくさん食事を口から食べたいものだ。
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ふたばのおやき [雑感]

 前におやきのことを書いたら、食べたくなって買ってきた。

 おやきの専門店は札幌市内でも少ないが、ネットで検索すると、10月まで入院していた東苗穂病院の近くにある「ふたば」というお店があった。住宅街の中なので見つけづらいようだが、地図を見ておいて見当をつけて行ってきた。
 住所は伏古となるが、北24条通を東に進み、東苗穂病院の横で右折して進むと、札幌刑務所の高い壁が現れるが、それが無くなるところまで進んで、右折し、ちょっと進むと左側にあった。少し遠回りだが、自分にとっては初めてなのでこちらの方がわかりやすい。
 「粒あん(110円)」「クリーム(110円)」、各2個を買う。女性の方が1人でやっているようだった。(2010年開店で、姉弟でやっているらしい。)店の中にはイートインできる席が数席ある。
 帰りは、そのまま西に進み、ブックオフの角の信号から、苗穂通りを北上してみたが、新道まで来るとエネオスとびっくりドンキーがあった。今度来るときは、ここから来た方が少し早い。
 帰宅して、昼食後、あんの方を食べるが、それほど甘くない。生地がしっとりしているのが特徴だろうか。クリームの方は、夕食後に食べよう。明日になれば固くなるだろう。それとも冷凍するか。

 おやきを食べるのは40年ぶりくらいだろうか。普段あまり甘いものは食べないので、関心が無かったのだ。「ぱんじゅう」は10年くらい前に、札幌の東区で売っている店を見つけて買ったことがある。たこ焼きを少し大きくしたくらいの釣り鐘型の薄いパン生地で包んだ饅頭で、中身は餡などがびっしり詰まっている。今はその店はやっていないようだ。北海道では、小樽と夕張に数店有名店がある。元々は本州で出来たお菓子のようだ。

 北24条の通りを走っていると、東20丁目に「アジャンタ」というスープカレーの店があった。同じ名前の店は、市内に数店あるようだが、ここは「総本家」を名乗っている。
 懐かしい名前だった。どんな関連か分からないが、わたしが昔居住していた教育大学の学生寮の近くにも「アジャンタ」があった。1980年くらいのことだ。南22条の電車通りにある店で、変わったカレーを出すことで知られていた。カレースープの中に鳥の足が2本入っていて、ルーや具をご飯の盛っている皿にかけて食べるという(各人の好みでその逆もあり)。ただ、高い。当時でも1000円くらいしたのでは。しかも時間・数量限定で、行っても食べられるとは限らないという店だった。寮生で食べたものはいて、うまいとは言っていた。大学生協の食堂ではカレーライスなら300円くらいで食べられる時代で、自分は1000円のカレーなど食べに行かなかった。敷居の高そうな店で、行けなかったと言うべきか。ネットの地図で見てみると、現在も同じ場所にあるようだ。
 その後、「スープカレー」の名称で、札幌市内の各店で広まり、札幌発祥のグルメとなった。市内には専門店が200軒ほどあるという。しかし、自分は、あまり食べた記憶は無い。外食で記憶にあるのは1度くらいか。最近では学校給食でもたまに出てくることがある。もはろんチキンレッグは無いが。
 今なら、時に行ってみたいと思うが、ただ1人ではチキン2本は食べきれないような気がする。家族で外食しても、何を頼んでも半分くらいは残すので、分けて食べて貰うくらいだから。

 http://www.ajanta.jp/

 追記 クリームのおやきは、夕食後に食べたが、これもそれほど甘くなかった。まあ味覚の方は癌治療以来低下しているので、他人に紹介できるほどでは無いが。ただ、皮がふっくら、もちもちしているので、お腹が空いたときのおやつには良いかもしれない。

 http://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010202/1028540/
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半年ぶりの出勤 [学校]

 昨年の7月26日から夏休みで、校外研修に入り、8月17日から10月24日まで入院し、12月31日までは病気休職、1月1日よりは復職を命じられたが、1月3日までは学校閉鎖、14日までは年休だったので、およそ半年ぶりの出勤となる。

 いつも通り6時半に起床。簡単に朝食を取り、洗顔後、着替えて家を出る。
 悪い予感が当たり、夜に除雪車が入り、車道の固い雪を削って、家の前に置いていった。もちろん車の前にも。これをよけないと車を出せない。四駆で馬力もあるので、その上をむりやり走ることは出来るのだが、雪がより固まって除雪が大変になるので、よける必要があるのだ。車のとる幅だけ、置いて行かれた雪を横によけた。これだけでもう朝から十分に疲れた。
 復職の辞令は朝校長から貰った。今日の学校のチャイムは別の教務の先生がセットしていてくれたので、朝は何もしなかった。始業式が10分ほど早く終わったので、時程が繰り上がる。チャイムカードを書き直して、セットし直す。2校時学活。出勤簿整理など。3校時1・2年学習コンテストで別室受験生徒3名の監督。その後、時間年休を取り帰宅。昼までで十分疲れた。昼食後、昼寝をする。
 月曜日からは授業だが、退勤時間までもつのだろうか。
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けっこうな雪 [雑感]

 車で出ようとしたら、結構な積雪で難儀した。

 除雪車も入っていない。大きな路線の除雪で精一杯なのだろう。
 車に積もった雪を払い、前の雪をどけるだけで、30分くらいかかった。融雪槽に入れるが、容積的には1トンくらいか。
 しかし、筋力が弱っているので、とても辛い。家の前とかは家族にやってもらうよう頼んだ。
 こんなに力が無くて、勤めていけるのだろうか?
 でも、今は杖無しで歩けるし、手すり無しでも階段昇降も出来るので、休む理由が無いのだ。車も学校くらいまでは1人で運転できる。前の医者には、100m歩けるならその分仕事は出来る、と言われた。腹の手術をしてくれた医者からは、回復までには半年くらいかかりますよ、と言われたが、病気休暇も休職もそんなに長いこと取れないようになっているので、給料を貰うためには勤務しなければならない。また倒れるかもしれないが、とりあえず職場に行こう。
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いつもの通院 [健康]

 高血圧や高脂血症の治療薬等がなくなるので、いつもの病院へ行ってきた。

 今は大体60日に一回だろうか。外来担当の医師は4人いて、特に主治医は決まっていない。行ったときに担当の先生に見てもらう。けどここ3回くらいは、たまたま同じ先生だ。この病院へは通い始めて20年を超えるだろう。この間、ずっと治療薬を飲み続けているのに、腹部大動脈瘤になっているとは、全く分からなかった。まあ原因は高血圧だけではないそうだが。この病気は、破裂するまでは無症状なので、本人にも医師にも何かのきっかけがなければ分からない。腹部エコーかCTで偶然見つかることがあるらしい。破裂する前に手術で人工血管に置き換えれば、95%以上の確率で助かるそうだが、破裂してしまうと多くの場合、大出血が起こるので、手術室に入るまでに80%が死亡し、手術をしても、半数が死亡するという。結果、生き残る確率は10%だ。わたしの場合は、穴がたまたま背中の方に開いたそうで、筋肉などの組織が大出血を止めていたそうだ。ただし、出血はあったので、血腫が出来て、それがまだ腸腰筋内に残り痛みの原因になっていると説明を受けている。血腫を溶かす薬はないので、自然に溶けて無くなるまで鎮痛剤を日に3度飲むよう処方されている。抜本的には、開腹して血腫をとる方法もあると言うが、また入院するのも腹を切るのも嫌だ。今、腹には20センチの切開痕があり、しばらく絶食が続いて点滴だけで生きていたので、5キロほど痩せてしまい、肉が減ったので腹の皮がたるんで皺になっている。風呂に入ったとき、見るのが嫌になる。
 人工血管は、瘤のあった大動脈を4カ所を切って糸で縫って置換している。素材はとても丈夫なもので、20年以上持つとされているらしい。手術をした医者は、ビルをダイナマイトで爆破解体するときに、破片が飛び散らないようにカバーをするその素材と同じで、大動脈であっても破裂出血は起きないと言っていた。調べるとポリエステル繊維やフッ化エチレン膜を素材にして出来ているとある。問題となり得るのは縫合部分で、どこかで破れたら、やはり大出血となる。それで、術後一度は検査が必要なようだ。今回は1月末に造影CT検査を受ける。
 実は、わたしの父が、胸部大動脈瘤破裂で死去している。連絡があったのがある日の晩で、食事中に倒れて救急車で病院に運ばれた。そして翌々日には息を引き取った。年齢も76歳だったから、医師から手術は諦めてくれ、と言われた。胸部大動脈瘤破裂の場合は、動脈が脳に近いので、心肺を停止して人工心肺にし、体もドライアイスで冷やして体温を20度くらいにし代謝を低くして手術する必要がある。体力がないと手術をしても助からないのだ。
 わたしもいつかそんな目に遭うような気がする。交通事故より可能性は低いだろうが。でも、回避できない事態からは逃れることは出来ない。だが、せめて死ぬ前に身辺整理のために一週間ほどは動いて歩ける時間が欲しいものだ。
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おやき [雑感]

 今川焼きとも言うそうだが、北海道では普通「おやき」と言う。

 小学校の頃、学校前にあった東旭川町の電停の中には売店があって、おやきが売っていた。1967年当時で1個が5円。新旭川から旭山動物園のある終点まで、小学生までは運賃も5円だった。買い食いは親から禁止されていたので、一度も買ったことはなかったが、ある時期から小豆の値段が高騰して、倍増の一個10円になったのには驚いた。
 日頃、甘いものはほとんど食べないので、すっかり忘れていたが、ちょっと気になって、調べてみると、札幌の専門店で、一個100円くらいのようだ。50年近く経つと、10倍位になるのだなぁ。スーパーの冷凍食品では、5個で400円弱だったから、一個60円くらいか。
 最近お腹が空くことが多いので、食べてみたい気もする。
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ある許可証 [雑感]

 古い写真の束の中に「許可証」なるものがあった。

 高校が発行したものだが、1項目に種別があって、1.下宿 2.昼食帰宅 3.車通学 4.校外団体加入 5.其の他 があり、わたしのものは「5.其の他(遅刻)」となっている。
 2項目目が事由で「石北線通学のため」とある。高校1年の途中から、転居のために愛別町に移り、高校のある旭川まで30キロほどを列車で通学していたのだ。1時間に1本しか列車がないので、雪などで列車が遅れると遅刻になってしまう。それで高校の方は、列車の遅れによる遅刻は、出席簿上遅刻とカウントしないよう、許可証を出していたのだ。石北線で通う生徒は100人くらいいたから、列車が遅れるとみんなまとめて遅れて学校に来ることになるので、特に理由も聞かれたことはない。(ちなみに、当時は「週番」と言う制度があって、腕章を腕に巻いた学生が、遅刻を取り締まっていた。)1973年から3年間だから、当時は国労や動労のストライキも結構あった。ちなみに石北線とは旭川市と北見市・網走市を結ぶ路線で、うっかりぐっすり眠り込むと234キロ離れた網走まで運ばれることとなる。そこまで寝込んだことは無いが、愛別駅で寝過ごして、次の駅まで行ってしまったことは2度ほどある。帰りの列車は2時間後なので、家までは7キロくらいだったから、真っ暗な国道を歩いて帰った。
 許可証には、担任印と、学校の係印が押してある。担任の先生の名前が懐かしい。勤め始めた頃だから、30年以上前の話になるが、あるとき先輩の先生と飲みに行ったら、店に高校時代に英語を習った先生がいた。声をかけるのにためらっていたら、先輩が話をしてくれて、3人で飲んだ。担任の先生の話をしたら、首を吊って自殺をしたのだという。女生徒と何かあったそうだ。
 今でも高校ではこんな許可証を出しているのだろうか? 遠距離通学生は減ったと思えないが。かつて愛別町にも高校があり弟は通っていたが、すでに廃校になった。北海道の地方での学校事情はどんどん悪くなっているのだ。
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病院食 [健康]

 退院して家の食事を食べると、味が濃く感じる。

 考えたら、病院の給食はかなり塩分を控えているようなのだ。焼き魚など身がぱらぱらで何を食べているのか分からなくなるくらいだった。
 まあ、病院によって味の差はあるが、北大病院の給食は普通においしかったように思う。昨年、北海道新聞社から、料理のレシピ集も出版している。
 大学病院は大きいので、中にはコンビニがあり弁当も売っているし、レストランもある。患者の様態によっては、給食ではなしに、店で食べている人もいた。何も食べないより何か食べた方がいいからだ。本当に食べることが出来なくなれば、死なせないために栄養点滴がある。
 5年前に癌の治療の結果、放射線の影響で味覚がしばらくなくなり、何を食べても味が分からなかったが、亜鉛の錠剤を飲んだりして、徐々に味覚も戻ってきた。食は細くなったが、食べ物がおいしく感じられるのは良いことだ。
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半年ぶりの職員室 [学校]

 ロッカーと机上の整理に、職場に行ってきた。

 夏休みに入って、8月17日から入院していたから、ほぼ半年ぶりに職員室に入った。
 校長面談や休暇延長の診断書提出、引き継ぎのために職場には何度か行っていたが、職員室には入らなかった。代替の方がいるので自分の場所がなかったからだ。
 市教委の健康審査会で、1月1日からの復職が許可されたと校長から聞かされたので、まだ辞令はもらっていないが、まあ行けば今は自分の場所がある。
 ロッカーは、代替の人が使っていたので、中に入れていたものは事務室で預かってもらっていた。それを戻す。名札も変わっていたが、始業式までには直すという。机上整理をして帰る。事前年休を取っているのだ。
 教える教室は4階なのだが、2階の職員室から歩いて上がってみたら何とかなった。毎日4回程度の授業が出来るかどうかはやってみないと分からないが、倒れたらまた休むだけだ。
 それにしても、5ヶ月くらい学校のことは何も考えていなかったから、どこのクラスに教えに行っていたのか、良く覚えていない。生徒の名前もクラスの担任も記憶から抜けている。酷いものだ。
 それでも、年が明けて、在籍10年に近づくので、窓から見える冬のグランドの風景は、毎年と変わらず、自分がいたことを思い出させてくれる。まあ長くなったので、そろそろ異動するだろうが。
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目の調子 [健康]

 ここ数日左目の調子が良い。

 外の遠くの看板の文字もくっきり見えるから、1.5位の視力が出ているのではないか。パソコンのディスプレイの文字もはっきり見える。
 10月24日の退院後は、あまり調子が良くなかった。パソコンの文字もぶれて見えるので、近め用のメガネに変えてみたりしていたが、今はその必要が無い。
 体調と同じで、目の具合も日によって変わるのかもしれないが。

 右眼は、中心性漿液性網脈絡膜炎のせいで、視力は落ちたままだ。それでも、2014年6月の網膜のレーザー治療以降は、漿液の漏れも無く、網膜の様子も安定してきてはいる。ただ、いったん傷ついた網膜は治らないそうで、視力もこれ以上は回復しないだろうと医者から言われている。今はせいぜい矯正で0.7位か。それでも、牽引免許も含む自動車運転免許の更新も出来たし、あと5年は何とかなるのではないか。
 話すことが出来なくなっても、目だけは何とか見えていてほしいものだ。
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ちくわぶ [雑感]

 車のラジオで、おでんに欠かせない材料として、ちくわぶがあるとの話を聞いた。

 ちくわぶとは聞いたことが無い言葉だったので、ネットで調べてみると関東地方の食べ物らしい。竹輪とは違い小麦粉で作り、竹輪に似せた形をしている。竹輪は魚肉から作るから全く別な食べ物だが、竹輪よりうまいのだろうか? 自分は、おでんの具としては食べた覚えが無い。
 しかし、あるときスーパーで、棚を見ていたら「ちくわぶ」があった。札幌でも普通に売っているのだ。転勤とかがあるので関東方面から来た人で買う方もいるのだろうか。
 「つと」というのもあるのを知った。これは北海道限定のようだが、自分は聞いたことが無い。なると巻きと同じようなものだが、中の模様が渦巻きでは無く、「つ」の字になっている。正月によく食べられると言う。
 歳をとっても知らないことは多い。
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