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坂本龍一さんのことば(2019) [健康]

朝日新聞より引用

痛みに涙、坂本龍一さんの治療 がんの究極の原因に気づいた

聞き手・山内深紗子2019年1月29日 16時29分
写真「人の声には興味がなかったのに、治療後、キューバの女性歌手オマーラ・ポルトゥオンドさんの歌声に体が反応して、涙が止まらなかった」と語った=2018年12月25日午後、東京都内、関田航撮影

 生きていれば、困難が重なる時があるのかもしれません。

 自分ががんになるなんて、1万分の1も疑っていなかったんです。若い頃は徹夜続きでも平気で、「才能は体力」と公言していたし、40代からは健康オタクと言えるほど気を使っていました。

がんとともに
 2014年6月、62歳のとき、のどに違和感を覚え、受診すると中咽頭(いんとう)がんだと診断されました。ステージはⅡとⅢの間。「まさか」でした。生まれて初めて死を意識しました。「がん」という言葉は重かった。

 そもそも、近代医学が発展したのはここ100年くらいですよね。昔なら、このまま死を迎えていたかもしれない。それも自然なあり方なのかもしれないけれど、僕は「生きたい」と思いました。あらゆる選択肢を検討し、統計に基づいた生存率が明らかになっている標準治療に命を託すことにしました。

 仕事を考えて治療を遅らせようか、いや、治療と同時並行でもいいのではないか――。さまざまな考えが浮かびました。でも、主治医から「生きていないと仕事もできないよ」と忠告され、冷静になりました。治るまで無期限で休むと決め、がんを公表しました。

 そして治療が始まりました。7週間の放射線治療では、口からのど全体が口内炎になったような痛みが襲ってきました。つばを飲む、食べる、飲む。その度に痛くて涙が出ました。痛みは日を追うごとに強くなり、治療の折り返しまで来た時、耐えきれなくなりました。大泣きして、主治医に「やめさせてくれ」と訴えました。

 治療中は、音楽なしの生活でした。聴く気にも、つくる気にもなれなかった。そんな経験は、あの9・11同時多発テロ以来、人生で2度目のことです。読書をする気力もなく、ただ、映画をひたすら見る毎日でしたね。

 自分を苦しめるこの「がん」とは何者なのか。手当たり次第に本やネットで勉強しました。健康な細胞ががん細胞になる原因は無数にある。日々取り込む化学物質、ストレス、DNAの単純な複写ミス、被曝(ひばく)……。そして、免疫機能が日々がんの芽を摘んでくれている。でも、がん細胞は、免疫システムをだます巧妙さも備えているやっかいな相手。まるで知性を持っているみたい。

 結局、原因は無数なんです。これら様々な原因を経験した期間が長いほど、がんに罹患(りかん)する確率は高まる。つまり、がんの究極の原因は「生きていること」なのです。このがんが消えても、別のがんにかかるかもしれない。それは受け入れざるを得ないのだと、1年間かけてそう思うようになりました。

家族から「死んでもいいから、やりなさい」
 治療を始めて7カ月が過ぎたころ、米アカデミー賞を受賞したメキシコ人のアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督から映画音楽の依頼を受けました。尊敬する監督からの依頼でしたが、心身が万全ではない中で、「大作を受けたら再発してしまうのではないか」と悩みました。罹患前にお約束していた山田洋次監督の「母と暮(くら)せば」の音楽制作と同時並行にもなる……。若く元気な時でさえ長編映画を2本同時につくったことはなかったのです。

 でも、こんな話は一生に1度あるかないかの光栄なこと。そんな僕の迷いを見抜いていたのか、家族から「死んでもいいから、やりなさい」と言われました。その言葉に背中を押され、引き受けました。

 やってみると大変でしたね。病気になる前は、1日12~16時間平気で音楽を作っていたのに、治療後はどんなに頑張っても8時間しかもたない。どんどん作業は遅れました。精神的に追い詰められ、人生で初めて友人にSOSを出しました。ドイツからLAに飛んできてくれた友人に制作を手伝ってもらったおかげで乗り切ることができました。助けを得ながらも、仕事をやり遂げることができたのは結果的に回復を早めたようで、良かったと思います。

本来あるべき姿に戻っているだけ
 病気になる前の12年、宮城県名取市の農業高校で津波をかぶり、調律しないままのピアノと出会ったのです。一昨年8年ぶりにつくったアルバム「async」にその音を入れて、「ZURE」という曲を作りました。

 この「津波ピアノ」の音は、病を経て、僕にはより心地よく感じられるようになりました。人間は調律していないピアノの音を「狂った」と言うけれど、本来あるべき姿に戻っているだけ。狂うどころか、自然な音なんですよ。

 人間というのは、愚かなもので、自分の意識、つまり脳だけが過剰に肥大している。自分がコントロールできている部分なんて、僕は5%くらいじゃないかと思っている。後は言ってみれば、DNAが受け継いでいる生命システムが働いてくれている。自分の意識だけが自分の生を決めているなんて、錯覚に過ぎない。その錯覚を前提にしている社会は危ういですね。

 人類は文明をつくりあげ、すばらしいと思っている。でも、自然からみれば、ちょっとしたくしゃみのような揺れで、簡単に文明は壊されてしまうことを3・11の災害で教えられた。自然の巨大さ。ぼくらは手のひらの中で生かされているだけ。その教訓を僕は絶対に忘れたくない。

 こうしたことは、以前から観念的に考えてはいたのですが、がんになり、自分の体の中で起きた異変を通して、自分の生は自然の中の一部なのだと実感しました。人間も動物も生まれた時から、みな死に向かって歩いているんだと、それは当たり前で、あらがいようのない摂理だと、現実的に捉えるようになりました。

 がんを経て、残り時間を意識するようになりました。僕にできることは音楽しかない。技術さえあれば誰でもできる音楽をつくってもしょうがないから、自分ができる音楽を作りたい。CDが何枚売れるとか、そういうことは一切考えなくなりました。

 治療から丸4年がたち、作りたい音楽は日々変わっています。今作りたいのは、「時間にしばられない音楽」。音楽も仕事も人生も始まりがあり、終わりがある。そこから解き放たれた音楽を志向しています。モデルはないので、色々と想像しているところ。「永遠性」にあこがれるのと似ているのかな。

健康なのは、その人が偉いからじゃない
 がんを公表したら、「実は僕も」「私も」と告白されることが多くなりました。僕自身は、がんになったことで差別や偏見を受けたことはないのですが、でも、意外と隠している人が多いのだと気づきました。

 健康だから強くて尊い? 病気になるのは弱くて価値が低くなる? そんな偏見や差別は、無知としかいいようがない。つぶすべきです。僕たちは自分たちの免疫システムに依存して生きているだけ。健康なのは、その人が偉いからじゃないのです。

 不思議なもので、僕はがんを経験した方に、家族か親戚のような親近感を持つようになっていました。身近な人ががんにかかったと聞くと、「この本読んだら」と送ったりしてしまいます。もう人ごとではないから、放っておけないのです。

 がんは難しい病気です。でも、ともに向き合っていきましょう。(聞き手・山内深紗子)

     ◇

 〈さかもと・りゅういち〉 1952年、東京生まれ。78年に音楽ユニットYMOを結成。83年公開の「戦場のメリークリスマス」の音楽で英国アカデミー賞を受賞。88年映画「ラストエンペラー」で日本人初の米アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞。90年からニューヨークに拠点を移す。2014年に中咽頭がんを公表。15年に山田洋次監督の「母と暮せば」、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の「レヴェナント:蘇えりし者」の音楽を担当。17年に8年ぶりのオリジナルアルバム「async」をリリース。


 追 坂本さんはその後、直腸癌、大腸癌、肺癌を併発し、2023年3月28日に亡くなった。享年71歳。
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