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このブログについて

 このブログは、管理人が、2007年から始めた雑多な記事からなっています。

 表題の通り、わたしは中学校教員生活37年中、時間割作成を10年続けました。それに関わる記事がブログを始める発端であり中核になっています。
 しかし、2010年に中咽頭癌を発症してからは、がんとそれ以外の病気との闘病記のようなものにもなってきました。幸い、中咽頭癌は完治しました。
 定年後、3年間再任用教員として働きましたが、2021年に年金受給年となって、退職しました。
 このブログの中の、何らかの記事が、学校現場で悩んでいる方や、がんや他の病気で苦しんでいるみなさんへ、少しでもお役に立てれば幸いです。

 2019年から「人気ブログランキング」に登録してバーナーを貼りました。がん治療や学校教育に関心のある方は、バーナーを押して、そちらの方もご覧下さい。

 2021/4/1記

   カテゴリー

【学校】 時間割 教員免許更新制度 労働問題 など

【健康】 中咽頭癌 抗癌剤・放射線治療 放射線性下顎骨髄炎 大動脈瘤破裂 うつ病 など
     
    「病歴等一覧」を見るには左下の検索ボックスに「@備忘録」(すべて全角)を入力して下さい。 

【環境】 反原発 環境問題 など

【雑感】 エスペラント キャンプ トレーラー 旅行 映画 など

【当初記事】 2007年の当初記事に進むには、左下の検索ボックスに「とりあえず」と入力して下さい。

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声がれ [健康]

 5月の連休明けくらいから、声が出にくくなってきた。その内治るだろうと、12月まで放っていたが、治る気配が無い。喉頭癌だったら嫌だなと思っていた。だが、仕方が無いので、地元の耳鼻咽喉科に行って診察を受けた。内視鏡で声帯を見て貰い、結果、「ポリープも癌も無く、病変もありません。ただ、声帯が萎縮しています」とのこと。病気ではないので、薬も処方されない。足が弱くなってきたら歩いて筋肉の強化をするように、「歌うとか、朗読するとか、人によってはお経を唱えるか」などして、声帯とそれを支える筋肉を強化するしか無いと言われる。なかなか出来ない話だ。私は、14年前の放射線治療の影響もあると思っている。癌治療後、職場復帰しても、声を出すことには苦労してきたからだ。元に戻ることはあまり考えずに、ボチボチ訓練していこう。
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旭川ラーメン青葉をめぐる思い出 [雑感]

 旭川ラーメン青葉をめぐる思い出
 過去の日記より。

 1997,8,2 土

 朝6時半、子ども会ラジオ体操。子ども12名、大人4名ほど。以前は20名以上参加していたが。小学生の数が、今年は18名しかいない。
 先週、過去の日記を解凍し、やっと読めるようになった。
 WINDOWS95の登場以来、我が家のコンピューターも、記憶容量不足で片肺飛行のようなものだったが、今年になって2GのHDを導入し、何とか使えるようになった。

 7月29日、30日と全道教職員体育大会(空知北大会)のため、出張。小林秀郎先生と二人で車で行く。宿舎は、初日、旭川高砂温泉、二日目、滝川ホテル末広。
 妻らは、実家へ。新琴似駅まで送る。雨。30日は、北湯沢の名水亭へ両親と泊まるそう。
 初日は、開会式に参加。二日目、男子卓球の試合観戦。上野幌東小分会。試合開始が2時半となり、宿泊となる。
 二日目は、試合が午後からなので、朝、小林先生と旭川博物館へ行く。
 その後、小林先生には物産館で待っていてもらい、一人で旭川医大付属病院へ。佐藤文子叔母を見舞う。思ったより元気そう。
 昼は、二人で旭川駅前の「青葉」で醤油ラーメンを。650円。小林先生は、うまい、と言って、おみやげラーメンを6個買う。自分で調理して食べるという。
 男子卓球会場は、沼田高校の隣。沼田高校は、小林秀郎先生の母校だそう。試合終了後、学校前の碑の前で写真を撮っていたら、写真撮りましょうか、と声をかけてきた人がいる。校長だそう。校長室に呼ばれる。室内には、過去の卒業生の絵が飾ってある。春山キミ子のサインが。1956年頃の作品。写真に撮る。校内を案内してくれる。
 末広では夕食が出ないので、みんなで歩いて、松尾ジンギスカン本店へ。

 転載ここまで

 青葉の醤油ラーメンは、今は850円。でも、店が健在なのは嬉しい。
 文子叔母はその後癌で亡くなり、小林先生も数年前に脳梗塞で亡くなった。
 春山キミ子さんとは旧姓で、松本キミ子さんのこと。高校卒業後、東京藝術大学彫刻科に入り、大学卒業後は、絵画教育で注目され、「キミ子方式」で全国に名をはせた。昨年、心不全で亡くなった。
 北海道沼田高校は、2009年度をもって廃校になった。
 滝川ホテル末広は、「滝川ホテルスエヒロ」として、今も営業している。

 小林先生は、札幌に帰ってからも、青葉のラーメンを通信販売で買っていたようだ。通販は今でもやっているのだろうか。青葉のHPには、載っているが、Amazonでも売っているのでもう止めているかもしれない。
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老人ホームの下見 [雑感]

 先週火曜日に、老人ホームへ、弟と下見に行ってきた。
 一人暮らしの母(89歳、要介護Ⅱ)が、もう足が弱く、夜トイレに間に合わずに失禁したり、以前は転倒して胸部圧迫骨折で入院したりしたからだ。それだけではない。買い物に行けないので「とどっく」に過剰に注文し1週間で1万円使うのが通常だったようだ。一人では当然食べきれないから、腐らせたり、ネズミに食べられていたようだ。居間で本人と話をしていても、何か探しているようだが、物忘れが進んでいるのか、隣の寝室から照明のリモコンを持ってきたことを忘れている。
 今はヘルパーさんに週2回来て貰い、ディサービスに週2回通っているが、これから冬になると一人暮らしは心配だと、ヘルパーさんとケアマネジャーさんからの提案で、冬期だけでも老人ホームの入居を勧められた。
 本人は環境が変わるのは嫌なようだが、弟と説得して、とりあえず「体験入居」ということで入って貰うことにした。部屋は全部個室で、トイレと洗面所がある。あと、ベッドとテレビ。正式の入居となると、寝具やテレビは自前となる。電気代も各部屋ごと別途の契約。食事は3食、食堂で食べる。
 続いてくれたら良いのだが。
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「カムイのうた」(知里幸恵の生涯)公開 [雑感]

 映画「カムイのうた」(知里幸恵の生涯)が公開されたそうだ。全く知らなかった。

 以下、北海道新聞より引用。

 ―私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます(アイヌ神謡集序文より)―
 大正期のアイヌ文化伝承者、知里幸恵(1903~22年)の生誕120年と著書「アイヌ神謡集」出版100年を迎えた今年、知里の生涯を描いた映画「カムイのうた」が上川管内東川町の製作協力で完成した。11月23日から道内各地で公開され、来年1月から全国で上映される。(旭川報道部) 

 映画「ぼくらの七日間戦争」などで知られる菅原浩志さん(68)=札幌市出身=が監督を務め、昨年7月から東川や旭川をはじめ、札幌、小樽など道内各地でロケが行われた。東川と札幌のオーディションで出演者を集め、地元ボランティアが美術や小道具製作に参加した。

 知里をモデルにした主人公テルを演じたのは、俳優の吉田美月喜(みづき)さん(20)。撮影時は知里が亡くなったのと同じ19歳だった。
 東京都出身でアイヌ文化や知里のことを深く知らなかったが、出演が決まってからは登別市の「知里幸恵 銀のしずく記念館」に足を運び、都内のアイヌ料理店で伝統楽器ムックリを練習して、役作りをした。

知里幸恵.jpg

 知里について「強い女性だけど、恋もするなど19歳の女の子らしさもあり、身近に感じました。こんな人が当時を生きたことをさらに多くの人に知ってほしい」と語った。

 菅原監督が本作でこだわったのは「本物」に迫ることだ。知里の日記や手紙、関連書籍はほぼ全て読み、アイヌ民族の歴史は幕末の探検家松浦武四郎が残した文献までさかのぼって調べた。衣装も明治・大正期の写真をもとに考証し再現。アイヌ文化研究家の北海学園大の藤村久和名誉教授(83)がアイヌ語や風習について監修した。

 ユカラ(英雄叙事詩)やアイヌ語の方言は、アイヌ民族の文化伝承者が録音に協力し、俳優の演技指導に使われた。主人公の叔母イヌイェマツを演じた俳優の島田歌穂さん(60)はこの録音を繰り返し聞いてオリジナルの楽譜を作り、役に挑んだ。

 撮影時、生の歌声でユカラやカムイユカラ(神謡)を披露した島田さんは「アイヌ語に込められた意味と、それを芝居としてどう伝えるかを考え抜き、自分なりに歌うことができた」と力を込める。
 もう一つ、菅原監督がこだわったのは、アイヌ民族が受けた差別と迫害の歴史を正面から描くことだ。主人公テルは、職業学校の同級生に「アイヌが来るところじゃない」と陰口をたたかれ、愛用のムックリをへし折られる。目を背けたくなるようなシーンが続く。
 明治期、北海道には道外から大勢の和人が移住し、当時の政府による土地の官有化や狩猟・漁労の禁止によって、アイヌ民族は生活の糧を奪われ、困窮した生活を強いられた。

 映画では、アイヌ語を禁じた土人学校、和人による漁場での強制労働、研究のために墓地から遺骨が盗掘されるなど、アイヌ民族がたどった悲惨な歴史を克明に描いた。
 菅原監督は「和人が過去、アイヌ民族に対してどんな仕打ちをしてきたのか、私たちはその歴史と向き合わなければならない」と強調。その上で映画を通して「アイヌ民族がアイヌであることを誇りに思い、未来への希望を持ってほしい」と語った。

 本作では旭川のアイヌ民族も明治・大正を生きたアイヌを演じている。
 旭川市の太田奈奈さん(70)は、アイヌ口承文学の伝承者、杉村キナラブックさん(1888~1973年)の孫にあたる。川村カ子トアイヌ記念館の川村久恵副館長(52)の提案で集落のフチ(おばあさん)を演じた。女性が口元にする伝統的な入れ墨のメークをして「鏡を見たらババにそっくりだった」。

 試写会の時はアイヌ民族が虐げられ、苦難を強いられる場面に耐えきれず席を立った。幼少期に受けた差別、研究者による長時間のユカ?収録を中断できず苦しそうな祖母、神居古潭(旭川)の石狩川で木材運搬の作業中に流された祖父…。辛い記憶が次々よみがえり、涙を流した。
 太田さんは月2回ほど、市内の施設でゴザやカゴといった伝統工芸の織物を教えている。織物が得意な祖母は「おまえはアイヌになるな」と教えてくれなかったが、太田さんは「アイヌはアイヌ。和人としては生きられない。それに織物はやっぱり好きだ」と、40代の頃、母に教わり始めた。

 今月から刀を下げるために使うひも作りの技法を応用したキーホルダー作りのレッスンも始める。祖母が口にしていたアイヌ語を忘れないよう、普段から意識的に話すようにしている。「自分は伝承をやり遂げていない。映画を見て悔しかったけどやってやる」
 真冬の海岸で過酷なニシン漁に従事させられるアイヌ民族の労働者を演じたのは、旭川市の設備工事業荒城秀成さん(54)。出演者の募集を知った妻の昌子さん(55)に勧められ、昨年4月に東川で開かれたオーディションに参加した。菅原浩志監督から「本物の映像を作りたいので、ぜひ出てほしい」とその場で合格を伝えられた。

 10カ月間、工事の現場に出る機会を減らして髪とひげを伸ばし、今年1月下旬の石狩市浜益の海岸で撮影に臨んだ。猛吹雪と氷点下20度以下の極寒の中、薄い布を数枚重ね着した衣装で、計40キロ近いもっことニシンを背負って歩いた。
 荒城さんも小学生のころから差別に遭った。入学式の日、ランドセルとともに学校の中庭に投げ捨てられた教科書には小便がかけられていた。ボクシングを始めていじめられることは減ったが、6~7年ほど前にも札幌の居酒屋で見知らぬ客に差別的な言葉を浴びせられた。

 荒城さんは「良い映画で感動もしたけど、現実はそんなもんじゃない」と話す。一方で「いろいろあったが自分は明るさで乗り越えた。アイヌであることを誇りに思うし、スクリーンにも映れた」と語る。
 製作に協力した川村副館長は「今もアイヌは社会でどう生きるか葛藤を抱えている。差別に関する表現は意見が分かれると思う。差別という問題、アイヌに対する迫害について、和人に見て考えてほしい」と話す。
 引用ここまで。

 知里幸恵さんが書いた「アイヌ神謡集」の改版が出たのと同時期に、映画までできるとは思いがけないことだ。札幌で公開されたら観に行かなければ。
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遠山一さん(ダークダックス)を偲ぶ [雑感]

 「ゾウさん」こと、ダークダックスの遠山一さんが死去されたそうだ。これでメンバーの全員が、冥界に旅だったことになる。

 以下、朝日新聞より引用。

 男声コーラスグループの草分け「ダークダックス」でバスを担当し「ぞうさん」の愛称で親しまれた遠山一(とおやま・はじめ、本名金井政幸〈かない・まさゆき〉)さんが22日、慢性心不全と老衰で死去した。93歳だった。通夜は10月1日午後6時、葬儀は2日午前11時から東京都杉並区上荻2の1の3の光明院で。喪主は妻金井惠美子(えみこ)さん。

 1951年、慶応大学の男声合唱団のメンバー2人とダークダックスを結成。翌年4人組になり、ジャズ、ポップス、ロシア民謡、黒人霊歌など幅広いジャンルの曲を歌い「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」「山男の歌」「銀色の道」などがヒット。コーラスブームを巻き起こした。

 メンバーの高見沢宏(ひろむ)さんが2011年、喜早哲(きそうてつ)さんと佐々木行(とおる)さんが16年に死去。最後の一人となった後も「ダークダックスのぞうさん」として音楽活動を続けていた。
 (引用ここまで)

 パクさんが亡くなり、ゲタさん、マンガさんと死去が続いて、ゾウさんが最後の一人になっていた。

 ダークダックスは、私が生まれる前から活動し、私が物心ついたときにはすでにテレビの常連だった。あのようなハーモニーがなぜできるのか不思議だったし驚きだった。
 高校生の頃に、旭川で、公演を聞きに行ったことがある。その時は生意気盛りだったので、「ダークも大したことないな」と思ったが、歌で死ぬまで食べていけるとは、生半可なことでは無い。
 ダークのメンバーがいなくなっても、音源は残り、聞かれ続ける。すごいことではないか。
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左上犬歯が折れた [健康]

 昨晩、夕食時に、なにかジャリジャリするなと思いながら、噛んでいると、左上犬歯が折れた。

 御飯を食べているときに、歯が折れるのは、それほど頻繁では無いが、たまにある。
 何か堅い異物があって、強く噛むと、歯は上下方向の力には強いが、前後方向はそれほど強くないそうだ。以前は、ホッケのつみれを食べている際に、前歯が折れた。小骨が残っていたようだ。
 明日、月曜日に、歯科クリニックに連絡してみるが、果たしてすぐ治療に入れるものか。折れた歯は保存してある。 
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あいさつ [雑感]

 先日の朝、ゴミ出しのために収集場へ行ったら、女子小学生から、「こんにちは! おはようございます」とあいさつをされた。「おはよう!」と応えたが、どこの家の子か、分からない。
 コロナ渦の前は、夏休みにラジオ体操があり、町内の小学生は大体来ていたので、どこの子か分かったのだが、ここ3年ほどラジオ体操も行っていない。
 町内会で担当の時の子どもだったのかも知れない。カードにハンコを押すのが私の役目だったからだ。私は分からなくとも、向こうは知っていたのかもしれない。
 しかし、分からなくとも、朝のあいさつは嬉しかった。
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新版『アイヌ神謡集』8月に刊行 [雑感]

 以下、北海道新聞6月8日版からの引用

 アイヌ文化伝承者の知里幸恵の生誕120年を迎えた8日、岩波書店(東京)は幸恵がまとめた「アイヌ神謡集」の新版を8月に刊行すると発表した。
 アイヌ民族が初めてアイヌ語や神謡を文字で表した「アイヌ神謡集」は、23年(大正12年)8月に東京の郷土研究社から出版された。再版などを経て78年に岩波書店が文庫化。現在、67刷で累計20万部を超えるロングセラーとなっている。
 岩波書店によると、新版は初版刊行から100年の節目に合わせて刊行。タイトルを「知里幸惠 アイヌ神謡集」に改め、著者名は入れない。岩波文庫では「知里幸恵編訳」としていたが、幸恵が口承文芸を文学的表現でまとめた作品であることから「編訳」や「著作」ではない形とする。
 アイヌ語研究者の中川裕・千葉大名誉教授が誤植や表現を数十カ所修正し、解説を加える。中川名誉教授は「幸恵は出版前に亡くなり、校正ができなかった。製作過程の誤植などを直し、実際に書かれたであろう表現に忠実な形で新版を刊行する意義は大きい。幸恵の業績を改めて多くの人に知ってほしい」と話す。(大沢祥子)
引用ここまで

 『アイヌ神謡集』は、「知里幸恵 銀のしずく記念館」によるとこれまでに22の言語に訳されている。その内最も早く訳されたのはエスペラントで、1979年に刊行された。現在では、Amazon Kindleストアで購入することが出来る。題名は、"Ainaj Jukaroj"。エスペランチストでもあった言語学者故切替英雄さん執筆の簡易アイヌ語文法も含まれている。(切替さんは、アイヌ語学専攻で2003年に『アイヌ神謡集辞典』を刊行している。)
 紙版では第3版(1989)が、日本エスペラント協会に注文すると在庫があれば、購入することができるかもしれない。500円+税と送料がかかるが。

 リフレッシュされた新版が楽しみだ。
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スマホの指紋認証 [雑感]

 今年2月に購入したスマートフォンの指紋認証が殆ど効かなくなって、どう対処しようかと考えていた。

 ネットで調べると、大筋、
 1.指先や機器をきれいにする。
 2.リセットする。
 3.既存の指紋認証を一回消去し、もう一度登録し直す。
 4.初期状態に戻す。

 と言うものだったので、1,2を試したが、3の登録し直す、で解決できた。

 今では、かつてイライラしてパスワードを入れて起動していたものが、嘘のようにすぐ画面が開く。
 ウジウジ悩んでいないで、行動に移すべきだと思った。
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迷惑メール [雑感]

 以下の趣旨のメールが、NTTドコモ名義で届いた。

 「24時間以内にこのメッセージが確認されるまで、お客様のアカウントは保護されます。
指定した期限内にこのメッセージを確認しないと、アカウントは永久にロックされます。
確認ボタンを押して、アカウントが完全に安全になるまで提供する手順を完了してください。
<ログインアクティビティを確認する(ボタンが表示されています)>
※<ログインアクティビティを確認する> というボタンを押下すると、個人情報の入力を求められるサイトへ接続されます。」

 近くのNTTドコモ販売店へ電話すると、不審なメールは削除して下さいとのこと。

 改めて、NTTドコモのHPを見ると、迷惑メールの例としてあげられていた。
 https://www.docomo.ne.jp/info/spam_mail/column/20170509/
 「あんしんセキュリティ」は入れているのだが、くぐり抜けたらしい。

 怪しいと思ったら、すぐにボタンを押さないことだ。
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宣誓書 [学校]

 前にも書いたかも知れないが、教職に就くにあたって、「宣誓書」の提出が必要になる。札幌市においては、その内容は以下の通り。(昭和59年度のもの。今は多少変わっているところがあるかも。)

 宣誓書

 「私は、ここに日本国憲法を尊重し、かつ擁護するとともに、教育を通じ、全体に奉仕すべき義務を深く自覚し、教育に従事する公務員として誠実かつ公正に職務を執行することを誓います。」

 追 再任用教員についても、提出が求められる。
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ちょっとイラっと感じたこと [雑感]

 眼科への通院で列車に乗っていた時のこと。

 列車はそれほど混んでいなく、私の前に小さな子を二人連れたお母さんが来て、子供たちと3人で座るのには少し狭いと遠慮したのか、子供2人は私の横に座らせ、お母さんは立っていた。
 そこで、席を立って、「どうぞお座り下さい」と言って、自分は向かいの席に座った。
 そこは、男女が別れて座っていて、中が開いていたのだ。
 それでその間に座ったのだが、いきなり右隣の女性がスッと立ち上がって移動したのだ。目で追ってはいないので、別の席に座ったのかどうなのかは分からないが、ちょっとイラっとした。
 次の駅で降りる予定だったのかも知れないし、ただ爺さんが隣に来るのが嫌だったのかも知れない。真相は分からないが、何となく嫌な気分になった。

 肝心なこと。検査の結果だが、矯正視力が右0.5、左1.2。左目の網膜の裏に薄く漿液が溜まっている。次回3ヶ月後に受診。左目の下まぶたがゴロゴロする感じがするのは、結膜結石のせい。酷くなったら、麻酔液を入れて除去するそう。
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坂本龍一さんのことば(2019) [健康]

朝日新聞より引用

痛みに涙、坂本龍一さんの治療 がんの究極の原因に気づいた

聞き手・山内深紗子2019年1月29日 16時29分
写真「人の声には興味がなかったのに、治療後、キューバの女性歌手オマーラ・ポルトゥオンドさんの歌声に体が反応して、涙が止まらなかった」と語った=2018年12月25日午後、東京都内、関田航撮影

 生きていれば、困難が重なる時があるのかもしれません。

 自分ががんになるなんて、1万分の1も疑っていなかったんです。若い頃は徹夜続きでも平気で、「才能は体力」と公言していたし、40代からは健康オタクと言えるほど気を使っていました。

がんとともに
 2014年6月、62歳のとき、のどに違和感を覚え、受診すると中咽頭(いんとう)がんだと診断されました。ステージはⅡとⅢの間。「まさか」でした。生まれて初めて死を意識しました。「がん」という言葉は重かった。

 そもそも、近代医学が発展したのはここ100年くらいですよね。昔なら、このまま死を迎えていたかもしれない。それも自然なあり方なのかもしれないけれど、僕は「生きたい」と思いました。あらゆる選択肢を検討し、統計に基づいた生存率が明らかになっている標準治療に命を託すことにしました。

 仕事を考えて治療を遅らせようか、いや、治療と同時並行でもいいのではないか――。さまざまな考えが浮かびました。でも、主治医から「生きていないと仕事もできないよ」と忠告され、冷静になりました。治るまで無期限で休むと決め、がんを公表しました。

 そして治療が始まりました。7週間の放射線治療では、口からのど全体が口内炎になったような痛みが襲ってきました。つばを飲む、食べる、飲む。その度に痛くて涙が出ました。痛みは日を追うごとに強くなり、治療の折り返しまで来た時、耐えきれなくなりました。大泣きして、主治医に「やめさせてくれ」と訴えました。

 治療中は、音楽なしの生活でした。聴く気にも、つくる気にもなれなかった。そんな経験は、あの9・11同時多発テロ以来、人生で2度目のことです。読書をする気力もなく、ただ、映画をひたすら見る毎日でしたね。

 自分を苦しめるこの「がん」とは何者なのか。手当たり次第に本やネットで勉強しました。健康な細胞ががん細胞になる原因は無数にある。日々取り込む化学物質、ストレス、DNAの単純な複写ミス、被曝(ひばく)……。そして、免疫機能が日々がんの芽を摘んでくれている。でも、がん細胞は、免疫システムをだます巧妙さも備えているやっかいな相手。まるで知性を持っているみたい。

 結局、原因は無数なんです。これら様々な原因を経験した期間が長いほど、がんに罹患(りかん)する確率は高まる。つまり、がんの究極の原因は「生きていること」なのです。このがんが消えても、別のがんにかかるかもしれない。それは受け入れざるを得ないのだと、1年間かけてそう思うようになりました。

家族から「死んでもいいから、やりなさい」
 治療を始めて7カ月が過ぎたころ、米アカデミー賞を受賞したメキシコ人のアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督から映画音楽の依頼を受けました。尊敬する監督からの依頼でしたが、心身が万全ではない中で、「大作を受けたら再発してしまうのではないか」と悩みました。罹患前にお約束していた山田洋次監督の「母と暮(くら)せば」の音楽制作と同時並行にもなる……。若く元気な時でさえ長編映画を2本同時につくったことはなかったのです。

 でも、こんな話は一生に1度あるかないかの光栄なこと。そんな僕の迷いを見抜いていたのか、家族から「死んでもいいから、やりなさい」と言われました。その言葉に背中を押され、引き受けました。

 やってみると大変でしたね。病気になる前は、1日12~16時間平気で音楽を作っていたのに、治療後はどんなに頑張っても8時間しかもたない。どんどん作業は遅れました。精神的に追い詰められ、人生で初めて友人にSOSを出しました。ドイツからLAに飛んできてくれた友人に制作を手伝ってもらったおかげで乗り切ることができました。助けを得ながらも、仕事をやり遂げることができたのは結果的に回復を早めたようで、良かったと思います。

本来あるべき姿に戻っているだけ
 病気になる前の12年、宮城県名取市の農業高校で津波をかぶり、調律しないままのピアノと出会ったのです。一昨年8年ぶりにつくったアルバム「async」にその音を入れて、「ZURE」という曲を作りました。

 この「津波ピアノ」の音は、病を経て、僕にはより心地よく感じられるようになりました。人間は調律していないピアノの音を「狂った」と言うけれど、本来あるべき姿に戻っているだけ。狂うどころか、自然な音なんですよ。

 人間というのは、愚かなもので、自分の意識、つまり脳だけが過剰に肥大している。自分がコントロールできている部分なんて、僕は5%くらいじゃないかと思っている。後は言ってみれば、DNAが受け継いでいる生命システムが働いてくれている。自分の意識だけが自分の生を決めているなんて、錯覚に過ぎない。その錯覚を前提にしている社会は危ういですね。

 人類は文明をつくりあげ、すばらしいと思っている。でも、自然からみれば、ちょっとしたくしゃみのような揺れで、簡単に文明は壊されてしまうことを3・11の災害で教えられた。自然の巨大さ。ぼくらは手のひらの中で生かされているだけ。その教訓を僕は絶対に忘れたくない。

 こうしたことは、以前から観念的に考えてはいたのですが、がんになり、自分の体の中で起きた異変を通して、自分の生は自然の中の一部なのだと実感しました。人間も動物も生まれた時から、みな死に向かって歩いているんだと、それは当たり前で、あらがいようのない摂理だと、現実的に捉えるようになりました。

 がんを経て、残り時間を意識するようになりました。僕にできることは音楽しかない。技術さえあれば誰でもできる音楽をつくってもしょうがないから、自分ができる音楽を作りたい。CDが何枚売れるとか、そういうことは一切考えなくなりました。

 治療から丸4年がたち、作りたい音楽は日々変わっています。今作りたいのは、「時間にしばられない音楽」。音楽も仕事も人生も始まりがあり、終わりがある。そこから解き放たれた音楽を志向しています。モデルはないので、色々と想像しているところ。「永遠性」にあこがれるのと似ているのかな。

健康なのは、その人が偉いからじゃない
 がんを公表したら、「実は僕も」「私も」と告白されることが多くなりました。僕自身は、がんになったことで差別や偏見を受けたことはないのですが、でも、意外と隠している人が多いのだと気づきました。

 健康だから強くて尊い? 病気になるのは弱くて価値が低くなる? そんな偏見や差別は、無知としかいいようがない。つぶすべきです。僕たちは自分たちの免疫システムに依存して生きているだけ。健康なのは、その人が偉いからじゃないのです。

 不思議なもので、僕はがんを経験した方に、家族か親戚のような親近感を持つようになっていました。身近な人ががんにかかったと聞くと、「この本読んだら」と送ったりしてしまいます。もう人ごとではないから、放っておけないのです。

 がんは難しい病気です。でも、ともに向き合っていきましょう。(聞き手・山内深紗子)

     ◇

 〈さかもと・りゅういち〉 1952年、東京生まれ。78年に音楽ユニットYMOを結成。83年公開の「戦場のメリークリスマス」の音楽で英国アカデミー賞を受賞。88年映画「ラストエンペラー」で日本人初の米アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞。90年からニューヨークに拠点を移す。2014年に中咽頭がんを公表。15年に山田洋次監督の「母と暮せば」、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の「レヴェナント:蘇えりし者」の音楽を担当。17年に8年ぶりのオリジナルアルバム「async」をリリース。


 追 坂本さんはその後、直腸癌、大腸癌、肺癌を併発し、2023年3月28日に亡くなった。享年71歳。
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ONU(光回線終端装置)の交換 [雑感]

 時々、インターネットが途切れるようになったので、NTTとチャットをして、その後担当者が出て話をし、ONU(光回線終端装置)の交換となった。
 3月25日には届いていたが、交換後暫く(最長1時間)ネットが途切れるというので、その日は交換しなかった。翌26日は恵庭の実家に用事があり、27日に交換した。送料含め、費用は掛からず。
 今回のものは、GE-PON型PR-400MI。前回交換したのが、2017年5月14日なので、6年ほど使ったことになる。(光回線開通は2016年12月5日なので、不都合が生じ、半年で交換した。)
 機器との相性なのか、巡り合わせなのか、いつダメになってもおかしくないので、備忘のために記録した。
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大川隆法氏の死 [雑感]

 「幸福の科学」総裁、大川隆法氏が、3月2日に死去された。

 大川氏は、「仏陀の再来」と自ら称されておられた。

 仏陀は80歳で、大川氏は66歳で死去された。
 仏陀は1冊の書籍も残さなかった。大川氏は、3000冊以上の書籍を残した。
 仏陀は、天国や地獄のことは述べなかった。大川氏は、天国も地獄もあると述べた。

 死去された大川氏は、今は自ら述べていた天界に、戻っているのだろうか。

 離婚した前妻の方は、心筋梗塞の疑いがあると、診察を勧めていたようだが、霊的な力で回復したと本人は言っていたという。その時、病院で検査を受け、適切な治療を受けていたら、寿命はもう少しは伸びていたのではないか?
 しかし、ご本人は、著書の中で、「病気の原因は心」と説いていたようだから、病院で検査を受けるのをよしとしなかったのかも知れない。教えが真実だとしたら、大川氏の心はどこか病んでいたことになる。
 
 本当の宗教者は、自分で本など書かず、行為と言説で信者が増えた。仏陀しかり、イエス、マホメットも。著書が3000冊を越えたと豪語していた大川氏は、一体何が目的だったのだろう。それによって信者の数が増えているとの話は聞かない。

 「幸福の科学」が今後どうなろうと、私にはあまり関心が無いが、同時期に発足した「オウム真理教」と比較して、その活動の収束の仕方には大いに関心がある。
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新しいスマートフォン [雑感]

 「Xperia Ace Ⅲ(SO-53C)」を、ドコモから郵送されてきたクーポンを利用、またdポイントも使って、定価34,408円の所を保護シート付きで、14,402円で購入した。6年前から使っていたXPERIA SO-01Jがあまりにも反応が遅く、ほぼ使い物にならなくなっていたからだ。
 午後、歯医者から戻ってから、息子に設定とデータの移行を頼んだ。前のスマホをケースから出すと、本体が半分剥がれていた。電池が膨らんでいたようだ。ケースの中に入れっぱなしだったので、全く気がつかなかった。まあ、年貢の納め時という事だったのだろう。
 新しいスマホは、さすがに反応が早い。家の中では、Wi-Fiで使っているから、ダウンロードの早さはまだよく分からないが、4Gから5Gになったので、外では違いが分かるだろう。
 ほんの一回り小ぶりになったので、アイコンが小さくなった。まあ、これもその内に慣れるだろう。
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『アンネの日記』冒頭について、小林エリカさんへのメール [雑感]

 小林エリカ様

 初めまして。札幌エスペラント会およびJEIに所属する者です。エリカさんの御著書は、大体読ませて頂いています。

 さて、本題に入りますが、深町眞理子訳『アンネの日記』では、冒頭以下のように訳しています。
「1942年6月12日 あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。」
 数年前、エスペラント版を読んで違和感を感じました。エスペラント訳では以下のようになっていたからです。
 “La 12-an de junio 1942 Al vi, mi esperas,mi povos konfidi ĉiaĵojn, kiel ĝis nun al neniu mi povis, kaj mi esperas, ke vi estos por mi granda apoganto.” 
 ここには「支え」と言う言葉はありますが、「慰め」はありません。
 そこで、国立国会図書館から、オランダ語版『アンネの日記完全版』を相互貸借し、原文を見ると、
 “Ik zal hoop ik aan jou alles kunnen toevertrouwen, zoals ik het nog aan niemand gekund heb, en ik hoop dat je een grote steun voor me zult zijn."
 (参考;Google翻訳「まだ誰にも打ち明けられていない私を、あなたに全てを委ねることができればと思います。あなたが私を支えてくれることを願っています。」)
 とあり、アムステルダムにあるUEAにボランティアで1年働いていた方に聞いても、「慰め」の意味は含まれていないとのことでした。
 ところが英訳を見ると(Translated from the dutch by B.M.Mooyaart-Doubleday、1967)、オランダ語から訳したと書いているのにもかかわらず、以下のようになっています。
 “I hope I shall be able to confide in you completely, as I have never been able to do in anyone before, and I hope that you will be a great support and comfort to me.”
 ここに「慰め」が挿入されています。オットーが出版したのは1947年ですから、1967年以前の英訳版があるのではないかと思います。

 アンネが、ジャーナリストあるいは作家を志していたのは、周知の事実ですから、後世に自分の書いていない字句が添えられて日本や英語圏で流布されているのは、わたしは、アンネに対しての冒涜だと思うのですが、小林さんはいかがお感じになりますか。

 なお、1952年初版の皆藤幸蔵訳『光ほのかに アンネの日記』(文藝春秋新社)では、以下のようになっていました。
 「わたしは、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、全部あなた(日記帳)に打ち明けられることを祈ります。そしてあなたがわたしにとって、大きな心のさゝえとなり、慰めとなることを祈ります。』
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散髪 [雑感]

 午後、散髪に行った。いつもの「理容かたやま」。
 初任者で着任してから通っているので、1984年からだから39年目となる。
 散髪途中で、店主の、成人式帰りの双子のお孫さんがやって来た。
 ウチの孫は3歳だから、成人式まではあと17年かかる。自分はちょうど80歳となるが、その時、この世にいるだろうか。
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『アンネの日記』について [雑感]

 原題 "Het Achterhuis"(後ろの家)12 juni 1942 - 1 augustus 1944” は『アンネの日記』として知られている。戦後発行されて60カ国語以上に訳され、2500万部を超える世界的ベストセラーとなったそうだ。

 もちろん、エスペラント訳もある。この本は、アンネが13歳の誕生日の時に貰った日記の記載から始まっている。

" Al vi, mi esperas, mi povos konfidi ĉiaĵojn, kiel ĝis nun al neniu mi povis, kaj mi esperas, ke vi estos por mi granda apoganto."
「あなたに希望します、今まで誰にも打ち明けられることが出来なかったことが、どんなことでも出来るようになることを、そしてあなたが私にとって大きな支えとなることを。」

 深町眞理子さんの日本語訳ではこうある。
 「あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話できそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。」

 でも、上記のエスペラント訳に「慰め」が加わっている。

 私の「違和感」はここから始まった。この「慰め」という言葉は、アンネのものなのだろうか?

 英訳本を買って見ると B.M. Mooyaart-doubleday訳では。
" I hope I shall be able to confide in you completely, as I have never been able to do in anyone before, and I hope that you will be a great support and comfort to me. "
 これは、深町さんとほぼ同じだ。

 では、原文はどうなのだろう。大体どの書籍にも、アンネの自筆が載っている。
アンネ自筆横書き.jpg


 これを解読するのは相当にやっかいだった。何より、知らないオランダ語だし、筆記体なので、よく見るとtの横棒が抜けていたり、eかlか分からなかったりする。ネットで検索をしたり試行錯誤の上、大学図書館を含め道内の図書館にオランダ語版が無いことが分かったので、オランダ語版を国立国会図書館から借りる事にした。自分で買うと1万円くらいするが、札幌市の図書館と国立国会図書館は相互貸借が出来るので、タダで借りる事が出来るのだ。ただし、館内でしか閲覧できない。この書籍の場合は部分コピーが可能だったが、司書の許可とコピー代がかかる(A4で1枚10円)。

 それで得た原文は、以下の通り。

 ”Ik zal hoop ik aan jou alles kunnen toevertrouwen, zoals ik het nog aan niemand gekund heb, en ik hoop dat je een grote steun voor me zult zijn.”

 Google翻訳だとこのようになる。
 「今まで誰にも出来なかった私だからこそ、全てをあなたに託すことができますように、心より応援していただければ幸いです。」
 何となく違う感じだなぁ。

 この原文からエスペラント訳だと、 
"Mi esperas, ke mi povos konfidi ĉion al vi, kiel mi neniam povis fari ĝin al iu ajn, kaj mi esperas, ke vi estos granda subteno por mi."
「私は希望します、いままで誰にも出来なかったことをあなたにはすべて打ち明けられることを。そして、あなたが私の大きな支えとなってくれることを。」
 日本語に訳したのは私なので、生片端な文章だが、少なくとも、「慰め」という単語が含まれていないことは分かる。

 どこで、この単語が入ってしまったのか、それが次の疑問だが、それは、もう深町眞理子さんに聞くしかないのだろうか。

 ただ、『アンネの日記』には、a版(アンネが最初に書いた物)、b版(アンネが後に公開することを考えて手を加えたもの)、c版(ホロコーストの後、ただ一人生き残った父オットーが性に関することや家族間のトラブルなどを削除して出版したもの)があり、これらをすべて網羅した『アンネの日記 研究版』(文藝春秋 1994)がある。これを見れば、疑問が解けるかも知れない。
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新車PRADOの納車 [雑感]

 5月10日に自損事故で、廃車になり、しばらく車が無い生活が続いていたが、今日「ランドクルーザープラドTX ”Lパッケージ”」が無事納車になった。息子と妻は早速買い物に出かけた。
 前車の「ランドクルーザー100」は、2003年2月納車だったので、19年ぶりの更新となる。トラブルもほとんど無く良く働いてくれた車だった。昨年は、クーラーが壊れて、ずいぶんお金がかかったけど。

 
プラド納車20221210プレート無し.jpg

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新しいコーヒーメーカー [雑感]

 前のものが4日ほど前に壊れたので、新しいコーヒーメーカーを購入した。
 DeLonghi ECAM 23120
 デロンギ マグニフィカS

デロンギ コーヒーメーカー マグニフィカS(2022).jpg


 4年前に同じものを買って使っていたのだが、器内清掃の警告ランプを無視して数ヶ月使っていたのが故障の原因と思われる。妻によると、修理に出すのと、ポイントを使って通販で新しいのを買うのとで、さして変わらなかったので、新調したそうだ。
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20代教員に心の病気増加 [学校]

 以下引用

「業務断れず限界まで」「眠るのが怖い」20代教員に心の病増加…過重業務で適応障害、自殺も 
10/24(月) 5:00配信

読売新聞オンライン
 心の病を抱える若い教員が増えている。2020年度までの5年間で、精神疾患で休んだ20代教員の在職者に占める割合は1・5倍へと増えた。仕事を苦に自殺を図る20代教員の割合も、ほかの年代の教員と比べて高い傾向がみられる。文部科学省は来年度、公立学校の教員のメンタル対策に本格的に乗り出す。(佐々木伶)


 「業務を断れず、限界までがんばってしまった」

 2017年、当時29歳だった大阪府立高校教諭の男性(34)の心身に異変が表れた。

 学級担任や部活動に加え、生徒のオーストラリアへの海外研修の調整や引率を任された。連日深夜まで働き、休みは部活動のない定期テストの期間中だけだった。

 海外研修の直前、頭痛や胸の痛みを覚えた。受診すると、医師から「1か月は就労不可」と言われた。だが、代わりに引率できる教員がおらず、診断書を病院に返還した。「自分がやらなければ、困るのは生徒だと思った」からだ。

 その後、適応障害と診断され、休職を繰り返した。現在は復帰しているが、薬と通院は欠かせない。男性は「業務量を減らせないなら、教員を増やすしかないのでは」と訴える。

 福井県美浜町の団体職員の男性(62)は数年前、教員になりたての長男(享年27歳)を自殺で失った。残された日記には、仕事での苦悩がつづられていた。

 長男は福井県内の中学校の正規教員となった1年目、学級担任や社会科、野球部の副顧問に加え、専門外の体育を担当。指導困難な生徒の保護者にも対応した。「過労死ライン」とされる月の残業80時間を最大90時間超えていた。

 長男の日記には、仕事に追われる様子が記されていた。「授業の準備が追いつかず、眠るのが怖い」「(保護者に)どう話しても烈火のごとく反撃がくる」「終わりを感じ、涙が出そうになる時がある」――。

 男性は17年2月、学校側に安全配慮義務違反があったとして県と町を相手に約1億円を求めて提訴。福井地裁は19年7月、業務と自殺の因果関係を認め、県と町に約6540万円の賠償を命じた。
判決では、「過重労働は明らかだったのに、(管理職が)業務を変更するなどの義務を怠った」と指摘。長男が自殺前に精神疾患を発症していたことも認定した。

 日記には「新しい方法での1年生の授業では、分かりやすかったと感想をもらえた」との手応えもあった。男性は「息子は子どもたちのために弱音も吐かず、一生懸命に仕事をしていたのに」とつぶやいた。

 文科省によると、20年度に心の病が原因で1か月以上休んだ公立学校教員は9452人に上った。20代の教員に占める割合は1・43%(2140人)で、16年度の0・91%(1286人)から1・5倍へと増えている。

 警察庁のデータを基に厚生労働省がまとめた資料によると、21年までの5年間に自殺した20代教員61人のうち、「勤務問題」が理由に含まれていたのは49%と半数を占めた。ほかの年代では、30代が32%、40代が35%、50代は44%だった。

 背景には、教員不足や団塊世代の大量退職で若い教員の業務負担が増えていることがあるとみられる。

 担当外の教科を教えることが増えたほか、新任教員もすぐに学級を担任し、保護者対応をするようになった。ある中学校長は「若手に多くの業務が集中する一方、ベテランの不在で相談する機会が減っている。管理職も忙しく、若手をケアする余裕もない」と漏らす。

 文科省は来年度予算の概算要求で、教員のメンタルヘルス対策の調査研究事業に9000万円を新規に計上した。自治体に委託し、病気休職の原因分析や対策の効果を検証する。成果のあったモデル事業を新たな施策として全国に広げたい考えだ。担当者は「教員不足のなか、若手休職者の増加は学校現場をさらに窮迫させる」と危機感をもつ。

 教員の働き方に詳しい小川正人・東京大名誉教授は「多くの業務を抱え、経験の少ない若手教員は自分を追い詰めるような働き方になりがちだ。管理職は業務量や労働時間を把握し、適切に配分するよう努め、相談しやすい雰囲気を作ることが必要だろう」と話している。(引用ここまで)


 さらに文科省より引用すると、「公立の小学校等の校長及び教員としての資質の向上に関する指標の策定に関する指針」(改正案)では、
 「学校を取り巻く状況については、
 いじめ・不登校などの生活指導上の課題への対応や貧困・虐待などの課題を抱えた家庭の児童生徒等への対応、
 インクルーシブ教育システムの理念を踏まえた発達障害のある児童生徒等を含む特別な支援を必要とする児童への対応、
 外国人児童生徒等への対応、
 個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実と主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善、
 道徳教育の充実、
 小学校における外国語教育、
 一人一台端末環境を前提としたICT・教育データの利活用、
 STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進、
 進路指導及びキャリア教育への対応、
 学校安全への対応、
 幼児教育と小学校教育の接続、
 小中一貫教育及び中高一貫教育等の学校段階間接続等への対応、
 保護者や地域との連携・協働体制の構築などが今日的に求められている。
 変化し続ける社会や学校現場からの養成に的確に応えられるよう、これらの変化に対応した教員の資質の向上が求められている。」(引用ここまで。読点で分けたが、全文で2行である。)

 盛り込みすぎと考えるのは、私だけ?
 これでは、まずは小学校教員の志望者は減るだけだろうに。

 自分で考えるに、20代なら、やってやろうと意気軒昂と現場に入ったかもしれないが、時代も家庭環境も変わった。学校も変わらなくてはならない。公教育を維持していくなら。
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札幌エスペラント会へ入会 [雑感]

 13時30分より、「かでる」にて、札幌エスペラント会(SES)の例会(毎週土曜日)に参加(会費納入加入)する。
 "Kredu min sinjorino!"(『奥さん、本当ですよ!』)の輪読。参加者7名+初心者1名。16時まで。

 10月10日に、エルプラザで北海道エスペラント連盟(HEL)の総会。参加者十数名。監査になる。会費を払う。
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眼科検診 [健康]

 市立病院での眼科検診。今日は3時から。

 左目の水ぶくれは治っていた。視力は、聞いていなかったが,左1.2,右0.4?位だろう。


 北海道エスペラント連盟より総会議案が届く。
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安倍晋三銃撃事件 [雑感]

 7月8日、元首相安倍が殺されてから、地獄の蓋が開いたように、旧統一教会と自民党とのズブズブとも言える関係が日々あきらかになり、情報を追うのが精一杯で、ブログを書く気力も起きなかった。

 教育基本法を改悪し、教員免許更新制度を強行導入し、人事権まで発動して集団的自衛権を閣議決定し、アベノミクスと自ら呼んだ経済政策が失敗に終わり、何ら良いことの無かった自民党与党30年間の裏側で、政治は旧統一教会をマスコミから隠し、選挙対策に使っていた。しかも、その首脳であった安倍を法的根拠の無い「国葬」とするという。

 国民は今こそまともに怒らなければ、政治は理性を失ったままで推移するだろう。その中核は、3,40代を中心とする「非正規雇用者」となるだろう。次の暗殺におびえているのはH.Tかもしれない。
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無線局免許状(再免許) [学校]

 アマチュア無線の免許状は、免許が切れる日の1年前から1ヶ月前までに再申請できるので、早々と再免許の申請をした。  今の免許状が平成35年(令和5年西暦2023年)5月14日までなので、新免許状は、令和5年(2023年)5月15日から令和10年(2028年)5月14日までとなっている。長男の分も同時に届いた。ただ有効期間は多少異なる。  3日ほど前に妻が家のブルーベリーの初収穫をしたようだ。  札幌近郊の摘み取り園「ブルーベリーさっぽろ」は、今日22日から開園だという。今年は豊作のようだ。
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大腸カメラ検査(9回目) [雑感]

 12時半から、行きつけの病院で大腸カメラの検査を行った。

 数えてみると、2001年から今日までで9回目になる。前回は、2017年7月27日だったので、5年ぶりだ。2個ポリープがあったが小さなもので前回と同様なので、治療は無し。
 2日前から20時にに下剤(ピコスルファートナトリウム・水薬)。前日は検査食。当日は8時から3時間ほどかけてニフレック(下剤)を2リットル飲む。
 病院に着き、受付、別室で着替え。注射と点滴(ブドウ糖入り生理的食塩水)がつけられた。13時半頃より検査。検査前にも肩に注射。今回は、S字結腸を通る際にあまり痛みは無かった。全般的に痛みは少なかったので、助かった。

 会計が終わって帰り際、掲示物を見ると「60歳以上でかかりつけの方は4回目のコロナワクチンの予約が出来ます」とあるので、受付に行き予約をする。8月22日10時になった。
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札幌市住民税非課税世帯等に対する臨時特別給付金 [雑感]

 先週、市より、「札幌市住民税非課税世帯等に対する臨時特別給付金」なる通知が届いた。

 「新型コロナウィルス感染症の影響が長期化する中、様々な困難に直面した方々が、速やかに生活・暮らしの支援を受けられるよう、住民税非課税世帯等に対して、臨時的な措置として10万円を給付します」とのこと。
 支給額 一世帯当たり10万円

 政府が4月末に決めた緊急経済対策のようだが、唐突感は免れない。もちろんすぐに確認書を送付した。
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メルマガ原稿(ラベンダー) [健康]

 ラベンダーの季節になりました。小公園の片隅や、大きな道路の中央分離帯などに青い色が冴え渡っています。
 私がラベンダーという名を知ったのは、中学生の時に読んだ「時をかける少女」という小説からでした。理科室にあったラベンダーの香りを嗅いだ少女が時間と場所を自由に移動できるようになってしまうと言うSF小説です。どんな香りなのか? 想像も出来ませんでした。
 それから半世紀が過ぎ、今では札幌でもあちらこちらで見ることの出来るラベンダーですが、肝心の香りが私には分かりません。12年前の抗がん剤と放射線治療によって、鼻から脳につながる中枢神経が変調をきたしているようです。コショウとかメロンの強い香りなら分かるのですが。
 味覚も、治療直後は0の状態から今では8割方回復していますが、本当に料理が美味しいと思う経験は年に二度ほどしかありません。
 ただ、嗅覚も神経が機能を止めたわけでは無いので、いつかどこかで、ちょっとでも回復する希望を持っています。ラベンダーの香りが記憶に残るような。
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通院等 [健康]

 昨日朝、ブルーベリーの畑の前の草取りをする。7日が雑草ゴミ出しの日。
 午後、月に一度の泌尿器科へ。尿は異常なし。
 病院の後、100円ショップに石けんを買う。いつものはもう無かった。
 ノートパソコンの下(後方)に置く半球のゴムボールがあったので買う。キーボードがちょうどよく傾く(高さ約2.4㎝)と共に、ファンの空気の通りも良くなる。商品名は「ノートPC用放熱スタンド」(株式会社グリーンオーナメント)。2ヶの半球をくっつけると約42㎜の球体となる。・ノートPCの放熱効果をUPします ・適度な傾きで入力作業が楽になる とのこと。思えば、今のPCの前の機械はファンが異常な音を立てて、フロッピーディスクのケースなどを機体の下に挟んで空気の通りを良くしたり工夫したが、結局は2018年に買い換えたのだった。
 夜は、Zoomで「大般涅槃経エスペラント訳」訳経検討会。Zoomでの参加者4名。第6回目。外部カメラはちゃんと使えた。20時より21時まで。
 キャンサーサポート北海道のメールマガジン7月号前文原稿を書く。6月末締め切りを忘れていた。

 今日は、予約の眼科へ。百合が原駅まで歩きJRで桑園へ。市立病院では、すぐに検眼、検査。診察もすぐ終わる。眼底に水は無し。右0.5、左1.2。次回3ヶ月後。
 桑園から乗って太平駅で降り、ラッキーまで歩いて夏靴を買う。8分ほどだった。靴は穴がすでにあいていたのだ。前も開いていた。古い靴は捨てる。
 ホーマックで除草剤を買う。ラッキーの前のバス停から、バスで百合が原小学校まで。コンビニで牛乳とヨーグルトを買う。

 明日は、午前中、精神科。バスが朝7時30分発のものしかないので、7時50分頃には病院に着いてしまう。玄関前で並ぶが、多分3番目くらいだろう。玄関が開くのは8時半。受付は8時45分から。診察は9時15分より。診察が、1,2番目に終わると、会計を終え、薬局で薬を出して貰っても、10時頃になるので、10時35分の上篠路経由バスに余裕で間に合う。
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