北見市高砂町の思い出 [雑感]
昭和32年に北見市高砂町で生まれ、小学校3年のはじめまで暮らしていた。
8歳くらいまでの記憶だから、不確かなところも多い。
家には、向かいの物置に五右衛門風呂があったが、銭湯にもよく行っていたような気がする。
銭湯は、野付牛(のっけうし)公園のすぐ近くで、公園に行く道路に面していたような。
雑貨屋があり、日用品や文房具はその店で買えた。近所で電話はその店にだけあった。
家は、建て売り二軒続きの平屋で、お隣は菊池さんと言った。今でも、親戚同様のお付き合いだ。
団地の中では、一番北の奥で、物置と畑があり、そのさらに北には、住宅はなかった。
道路の行き詰まりが小さな広場で、子どもたちはそこで遊んだ記憶がある。
水道も共同流しだった。
北方面には、競馬場があったと思う。そのはずれのがけ地に、近所のお兄ちゃん方が、洞窟に近い穴を見つけて、「秘密基地」を作った。一度だけ連れて行ってもらった覚えがある。後にバレて、お兄ちゃん方は、一週間程度の謹慎となっていた。
今では東陵公園となり、運動公園として整備されている。
父の仕事が変わり、旭川に引っ越したが、そのまま北見にいたら、どんな人生になっていたのだろう。
地域的には、東陵中学校を出て、北見北斗高校に入り、北見工大に行っていたかもしれない。
実際の所は、旭川中学校を出て、旭川東高校に入り、北海道大学を経て、北海道教育大学を卒業し、中学校の教師になった。
それでも、生まれ育った土地は懐かしい。
8歳くらいまでの記憶だから、不確かなところも多い。
家には、向かいの物置に五右衛門風呂があったが、銭湯にもよく行っていたような気がする。
銭湯は、野付牛(のっけうし)公園のすぐ近くで、公園に行く道路に面していたような。
雑貨屋があり、日用品や文房具はその店で買えた。近所で電話はその店にだけあった。
家は、建て売り二軒続きの平屋で、お隣は菊池さんと言った。今でも、親戚同様のお付き合いだ。
団地の中では、一番北の奥で、物置と畑があり、そのさらに北には、住宅はなかった。
道路の行き詰まりが小さな広場で、子どもたちはそこで遊んだ記憶がある。
水道も共同流しだった。
北方面には、競馬場があったと思う。そのはずれのがけ地に、近所のお兄ちゃん方が、洞窟に近い穴を見つけて、「秘密基地」を作った。一度だけ連れて行ってもらった覚えがある。後にバレて、お兄ちゃん方は、一週間程度の謹慎となっていた。
今では東陵公園となり、運動公園として整備されている。
父の仕事が変わり、旭川に引っ越したが、そのまま北見にいたら、どんな人生になっていたのだろう。
地域的には、東陵中学校を出て、北見北斗高校に入り、北見工大に行っていたかもしれない。
実際の所は、旭川中学校を出て、旭川東高校に入り、北海道大学を経て、北海道教育大学を卒業し、中学校の教師になった。
それでも、生まれ育った土地は懐かしい。