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教科書に載ったエスペラント [学校]

 中学校の時に、国語の教科書で、国際共通語エスペラントとその考案者ザメンホフの話を読んだ。

 と言う記憶があるのだが、いまいち確信が持てなかった。
 そこで、札幌市中央図書館の利用サービス(レファレンスサービス)に問い合わせた(5月12日)ところ、本日メールで回答が来た。
 検索の結果10件が見つかり、伊東三郎著『エスペラントの父 ザメンホフ』(岩波新書 1950)の抜粋を載せている教科書で比較的新しいものは、「新版標準中学国語3」教育出版 1972年、「改定標準中学国語3」教育出版 1975年の2件と言うことが分かった。日本エスペラント協会に問い合わせたところ、「標準中学国語3」教育出版 1974年に載っているとの回答。これらの回答をあわせ検討すると、1972年から1975年までの教育出版『標準中学国語3』には、「エスペラントの父 ザメンホフ」の文章が載っていたことになるだろう。
 1972年が私が中3の年で、ちょうど年代が合致する。当時旭川市でこの教科書が採択されていたかどうかの確認は出来ないが、多分間違いないだろう。46年前についた小さな焔が、今もまだ細く燃えつづけている。
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民進党からの離党 [雑感]

 (札幌市)北区民進党から、国民民主党へ移行するか、離党するかの返答を、ハガキで求められた。

 離党するに丸をつけて、投函する。
 遡れば、党との関わりは35年前からになる。当時は日本社会党だった。就職してすぐに、先輩から誘われて入党したのだった。当時札幌市北区の市会議員は湊谷さん。彼は湊谷さんの後援会で活動していたのだった。道議会議員は、教組出身の小山誠司さん。
 その後、専従になって、1994年度に、急逝された小山さんの後継者として蝦名さんの選挙活動をした。同時に、日本社会党札幌市北区総支部書記長の任にも着いた。
 4年後の改選期には、民主党への移行と、社会民主党への分裂が起こった。専従も書記長の任も降り、党籍は北区民主党へ移った。その後、北区民進党へ。
 北区民進党の代表は、民進党を離党して立憲民主党へ入党する。わたしはと言えば、特に付き合いも無いので、とりあえずは静観となろうか。退職者の会の関係で、何か役職を言われるかもしれない。

 追記 6月1日の「立憲民主党北区支部(札幌市)結成大会」に向け、5月22日に入党届を送付した。
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しおりの丁合 [学校]

 1と6時間目が空きだったので、しおりの丁合を機械でやってみた。

 最初A5版の用紙を縦に入れたら、最初のプリセットは動くのだが、その後、紙を認識しない。職員室に居た先生に聞くと、横に入れるとセンサーが働くようだ。
 1時間目は、教師分と予備分をやってみたが、慣れないので、40部なのに時間がかかる。
 6時間目は、生徒分4クラス160部(予備含む)をやってみたが、思ったよりもスムーズに丁合が出来たので、1時間で全クラス分が終わってしまった。
 ただ、2クラス分が終わった段階で、逆綴じになっていることに気がつく。本来、1/2、3/4となるべき所を、2/1、4/3としてしまったのだ。生徒に直させても良いが、どうするかは月曜日に考えよう。渡すのは火曜日で間に合う。まだホチキス止めをしていないので、手でひっくり返せばいいのだ。自分でやるか、生徒にやらせるか。
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