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生年 仏歴2500年 [学校]

 「仏歴」と言う言葉を知ったのは、本多勝一著『貧困なる精神24集 「英語」という"差別” 「原発」という“犯罪” 米国に心も命も収奪された日本人』(2011年 株式会社金曜日)を読んでだった。

 以前にも、家が浄土真宗本願寺派だから、なにかの雑誌で見たことがあったのかもしれない。
 だが、本多氏が、「21世紀」を揶揄して「単に十進数法上の偶然的数字で、かつ非キリスト教徒には関係ない」と喝破し、最後に「仏歴二五四三年・イスラム暦一四二一年・キリスト歴二○○一年(寒中見舞状)」と書いてあったのが、印象に残ったのだ。
 確かに、普段何気なく使っているのは西暦だが本来はキリスト生誕紀元だ。イスラム教徒にとってはイスラム暦(ヒジュラ暦・メッカからメジナへの移住日)があり、仏教徒には仏歴(仏陀の入滅を紀元とする)がある。日本には、和暦があり、天皇が変わった時や在位中でも時々変えるのでやっかいだ。
 戦前は皇紀というのがあり、神武天皇の即位日を紀元とする。どうやって調べたのか分からないが、西暦紀元前660年=皇紀元年、と当時の明治政府(西暦1872年=明治5年)が決めたそうだ。明治時代は、皇紀と和暦と西暦が混在したわけだ。しかし、民衆はどれだけ使っていたのだろう? 手元にある石川啄木の歌集をみても、使っているのは和暦だけだ。1931年から始まる「十五年戦争」の最中、昭和15年は、西暦1940年=皇紀2600年となり、盛大に祝ったそうだ。翌1941年から太平洋戦争に突入する。1945年(皇紀2605年)の敗戦以降は、皇紀なるものは見たことがない。一部のマニアックなものは発行しているのだろう。旧太陰太陽暦まで発行しているのだから。
 そもそも、1868年に成立した明治政府は、皇紀を定めた同じ1872年11月に、西洋制度導入・近代化のために、それまで使っていた「天保暦(太陰太陽暦)」から、「太陽暦(グレゴリオ暦)」への改暦を行っている。このため、本来明治5年(1872年)12月3日が、明治6年(1873年)1月1日に突然変わった。政府は12月分の給料を支払わなくて良くなったから、結構助かったろう。

 ともあれ、昔になればなるほど、根拠が曖昧になるのは当然で、皇紀などは最もたるものだろう。何の根拠もない。イエスも紀元前4年くらいに生まれていた説が有力だ。仏歴も、仏陀の没年(入滅)は学者によって複数説あり、かつ現行使われている仏歴は2通りある。ミャンマー、スリランカあたりは西暦+544年、タイ、カンボジア、ラオスあたりは西暦+543年。没年を1年とするか、0年とするかの違いという話もある。日本では、後者の「仏歴=西暦+543年」を使う方が多いようだ。(しかし、本多勝一氏は違う。上記の例では、2543=2001+542,単に計算ミスか? イスラム暦でも本多氏は1421年をキリスト歴2001年としているが、普通は2000年を示す。)

 いずれにせよ、複数を使い分けるのは面倒だ。西暦一本でいい。私のように、すでに昭和・平成・令和を経ていると、今令和何年か、カレンダーを見ないと分からないことが多い。また、昭和○○年が今から何年前か計算するのに、いちいち西暦に換算しないと、計算自体が出来ない。なんたる不便。

 キリスト生誕紀元である、AD(Anno Domini:紀元後)、 BC (Before Christ:紀元前)を使わず、中立的表現として、CE(Common Era:共通紀元)、 BCE(Before Common Era:共通紀元前)があり、2002年にはイングランド、ウェールズの公立学校、米の非営利団体が使っているという。国ぐるみの物とはなっていないようだ。

 色々調べたが、さて、自分の生年の仏歴を計算すると、ちょうど2500年となることに気がついた。これはなかなか気持ちが良い。他人に話をしても、ふーん、で終わる話だが。したがって、本年は仏歴2565年となるのだ。
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