訃報 エスペランチスト沢谷雄一さん [雑感]
ネットで流れてきたのが、古い先輩の死去の知らせだった。
沢谷雄一(澤谷雄一)さん、73歳、9月15日死去(葬儀終了)。
1975年頃、まだ私が高校生だった時に、北海道エスペラント連盟へ、エスペラントを教えて欲しいと連絡したときに、返事をくれたのが沢谷さんだった。
沢谷さんは、当時は北海道大学の理学部物理学科博士課程の学生だった。
私が北大を受験した後、合格発表の時に「喜んでいいわ」と電話をくださった。それから、4年くらいの付き合いがあり、彼は就職で帯広の高校へ行った。教科は英語だったそうだ。
定年退職後は伊達にお住まいだったようだが、お目にかかることは出来なかった。
数年前から、加藤周一の『日本文学史序説』のエスペラント訳を試みていたそうだが、完訳には至らなかったようだ。
10時過ぎに妻と食材の買い物。札幌トヨタに、車のクーラーの修理費の支払い。
午後1時より3時過ぎまで、北海道キャンサーネットワークのオンライン交流会。
沢谷雄一(澤谷雄一)さん、73歳、9月15日死去(葬儀終了)。
1975年頃、まだ私が高校生だった時に、北海道エスペラント連盟へ、エスペラントを教えて欲しいと連絡したときに、返事をくれたのが沢谷さんだった。
沢谷さんは、当時は北海道大学の理学部物理学科博士課程の学生だった。
私が北大を受験した後、合格発表の時に「喜んでいいわ」と電話をくださった。それから、4年くらいの付き合いがあり、彼は就職で帯広の高校へ行った。教科は英語だったそうだ。
定年退職後は伊達にお住まいだったようだが、お目にかかることは出来なかった。
数年前から、加藤周一の『日本文学史序説』のエスペラント訳を試みていたそうだが、完訳には至らなかったようだ。
10時過ぎに妻と食材の買い物。札幌トヨタに、車のクーラーの修理費の支払い。
午後1時より3時過ぎまで、北海道キャンサーネットワークのオンライン交流会。