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昭和世代とは [雑感]

 この間、同年代の同僚と話していたら、こんな話が出た。

 「結局私たちの生まれた年って、つい10年くらいまでは戦争やっていて、殺したり殺されたり平気でしていた時代なんだよね。10年なんてほんとにちょっと前のことでしょ。そんな時代に生まれて育ったんだから、今の世代とはずいぶん違っていて当然。」

 なるほどなぁと思った。わたしは1957年生まれだから、両親はしっかり戦時中を生きてきたわけで、戦後世代ではあるが、どこかで戦争の跡を引きずっているのかもしれない。
 まあ、それにしても、今と比べると何もなかった。小学校は木造平屋で、断熱もしっかりしていないので、冬氷点下25度だったろうか、それ以下になると石炭ストーブでも校舎内が暖まらないので、臨時休校になった。体育館には暖房すらなかった。だから、氷点下でも体育の授業は普通に行った。さすがに体育着だけでは寒すぎるので、股引を履いたままだった。学校への通学も除雪が十分ではなかったから、長靴に雪が入らないように毛糸で編んで両側にゴム糸を入れた筒のようなものをズボンと靴の間にはいて通った(名前は覚えていない)。これは、当時の旭川市の話である。
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HIROMI

雪国の学校と言えば、わたしはダルマストーブの思い出でしょうか。ほんとにダルマ型で、上が広くて金だらいを置けばお湯も沸かせるし、そのお湯に瓶の牛乳を入れて暖められたし、食パンも焼けました!そのかわり危険がないように、朝礼の時はストーブ当番が教室に残り、火の番をしていたんですが、その当番になりたくて、なりたくて。教室の後ろには薪がたくさん積んであって、そこからネズミが出てきて大騒ぎしたっけなあ…いい思い出ばっかりですが。
by HIROMI (2011-12-24 22:06) 

shira

 逆に言うと、今の中学生は湾岸戦争すら産まれる前のことで、9.11以降の対テロ戦争に日本が参戦していったのが3〜4歳ということになりますから、彼ら彼女らは「戦争しか知らない子どもたち」だとも言えるわけです。
by shira (2011-12-25 00:34) 

tyuuri

>HIROMIさん、こちら(当時は旭川)では、もう少し大きな石炭ストーブだったように思います。薪はありませんでしたね。
>shiraさん、今の中学生はどれくらいその経過を記憶しているでしょうか?
by tyuuri (2011-12-25 16:20) 

tyuuri

>ハマコウさん、niceありがとうございます。
>bashy0322さん、niceありがとうございます。
by tyuuri (2011-12-25 17:26) 

tyuuri

>ぷりごろたんさん、niceありがとうございます。
by tyuuri (2011-12-27 16:28) 

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