石炭ストーブ [学校]
だんだん記憶が曖昧になってくるが、北海道旭川にいたとき、学校での暖房は、小・中・高と石炭ストーブだった。
朝、用務員さんが、すべての教室のストーブに火を入れてくれる。
石炭は、生徒の日直が運ぶ。
火の調整は、大体生徒がやっていたのではないだろうか。
デレッキ(鉄の棒)でストーブの中をかき回し、ジュウノウで石炭を足した。
このデレッキは、ときおり、教師の手によって、生徒の尻をたたくのにも使われた。宿題を忘れたときとか・・
黒板の前に並べさせられ、男女構わず、デレッキで尻をたたかれる。
小・中の頃は、あまりにも朝寒いと、校舎が暖まらないので、朝7時現在だったろうか、テレビを見て、たしか、マイナス15度だと1時間遅れ、マイナス20度だと休校になった。
各教室に、石炭ストーブだ。
近くの子は、あまりにも暑いので、汗がだらだら。
遠くの子は、寒いときには、コートを着て授業を受けた。
今考えて、恐るべき事は、体育館に暖房がなかったことだ。
体育の授業は当然あるが、マイナス10度でもお構いなしに、授業が行われる。
卒業式とか、儀式の時だけは、どこから持ってくるのか、石油のジェット暖房で館内を暖めた。
家の暖房も、石炭ストーブだった。
一時期は、ルンペンストーブも使っていたことがある。
これは、一方の石炭が燃え尽きたら他方を、と言う風に、2台を代わり代わり使うので、一方がルンペンになるから、その名が付いたそうだ。
昭和30年代、1960年代で、祖父が生きていた頃は、秋口は、薪ストーブも使っていた。
どこから取り寄せたのか、結構な大木を、鋸で挽いて、鉈で割って、薪とした。
小学校3年生くらいから手伝わされたような気がする。
高校生になって、部活となると、用務員さんは、放課後の面倒は見てくれないので、自分たちでストーブをつけることになる。
たき付けは、小割りした薪を手に一つまみしかくれない。
これで、石炭をたくのは、至難の業だが、だんだん出来るようになった。
出来ないときには、盗みに行ったこともある。
盗みと言えば、石炭が足りなくて寒いときの用意に、高校時代は、せっせと教壇の下に、石炭を隠し入れていたモノだ。教師も気づいていたと思うが、注意をされたことがないので、寒さしのぎのためには、用務員さんを欺いて、お互い様だったのだろう?
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