昭和30年代の給食・脱脂粉乳 [学校]
昭和32年(1957年)生まれだから、小学校に入ったのは昭和39年(1964年)。
入学したのは、北見市立東小学校。
1年の時から、学校給食はあったと思う。
当時の給食には嫌な思い出しかない。
ほとんど、コッペパンとサラダと脱脂粉乳のミルクだったと思う。
野菜が嫌いだったので、鼻をつまんで食べていたように思う。
そして、脱脂粉乳のミルクだ。これは食物なのか?
ウマイ・マズイの域から外れて、飲むことを命じられた苦行のように感じられた。
何しろ、全部食べないと、担任から、教室に残されて、すべて食べるよう命じられたから。
まあ、今50歳になって思うと、当時の担任は、児童の体位向上のために、真剣になって本人が嫌でも食べさせなければと決意していたのだと思うが・・(今やったら「虐待」になっちゃうよ・・・)
そういえば、「肝油」と言うのもあった。
わたしの時は、ゼリー状のモノだったが、これは結構美味しかった。
小学校3年で転校して、旭川市東旭川町・旭川市立旭川小学校ではまだ給食がなかったような気がする。
瓶の牛乳だけがあったような。冬は、ストーブの上に蒸発皿を置いて、暖めて飲んでいた。
1984年に初任者として着任した札幌市立篠路中学校では、給食が無かった。牛乳はあったような気がする。
子どもたちは弁当で、わたしのような独身者は、容器が赤いので「赤弁」と称する仕出し弁当を業者に頼んでいた。
これはこれで、給食配膳の時間がいらなく、とても楽で、あとで給食が導入されると、先生方は、「面倒になるねぇ・・」とみんなつぶやいていた。
脱脂粉乳は二度とごめんです...
by サンフランシスコ人 (2020-02-13 04:01)
13年前の記事に、コメントありがとうございます。
今ならスキムミルクというところですが、当時のものは、家畜の飼料と変わりありませんでしたからね。
by tyuuri (2020-02-13 19:45)
仰天....今は高校でも給食があるんですね...
http://www.youtube.com/watch?v=e6CQrRnOZkg
石川県内初 志賀高校で給食導入 2018.2.14放送
Feb 14, 2018
by サンフランシスコ人 (2020-02-15 08:01)