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アニメ「風立ちぬ」を観る [雑感]

 「風立ちぬ」を観た。

 2013年の作品だから、もう5年も前になるのだなぁ。
 わたしはその年の1月に左下顎の骨髄炎で入院・手術し、下顎の四分の一を離断し、失った。4月には復職したが、ものをうまく噛むことが出来ず、不便な日々だった。
 飛行機がそんなに好きでは無いから、好んで観ようと思っていなかったから、今頃になったのだろう。

 冒頭、主人公が、地震災害に巻き込まれた際、居合わせた女性の骨折した足を固定するのに、副木代わりに自分のカバンから取り出したのが、なんと「計算尺」だった。
 計算尺の生産は、電卓の急速な普及で1980年頃で終わってしまったから、計算尺を知っているのは、およそ1970年以前に生まれた者となる。わたしは、1957年生まれで、中学校の教科書にも計算尺の使い方が乗っていたくらいだから、その大切さが分かる。衝撃を与えて、0.1mmでも狂うと計算結果が狂ってしまう精密機器なのだ。当時の技術者にとっては、第二の頭脳と言ってもいい。それを躊躇無く捨てるように使うことは、普通の感覚ではできない。そこがアニメの故なのか、主人公の性格を描くものなのか、分からないが、ちょっとショックではあった。自分なら絶対にしない。
 このアニメの中には計算尺が良く出てくる。それは、当時の設計者にとっては当然のことで、描写として悪くない。このアナログ感覚は自分としては好ましい。だが、最後の重要な計算は、手動式機械式計算機でやっていたはずだが、そのもの自体が映画の中に出てこない。あたかも手計算と計算尺で飛行機を作っていたかのように描かれているのだ。それはファンタジーで、現実では無い。
 映画全体が「美しいもの」を追う緩やかなストーリーになっている。描かれる世相は現実を反映しているが、主人公とその行動は、自分の美意識を追うものでしかない。妻が死ぬ姿も描かれず、最後に夢の中で、死んだ妻から「生きて!」と声をかけられて、始めて涙を流す。
 もともとは「来て!」だったそうだ。それが変わったのは、作品全体の制作意図との関連による。生きることによってしか、反省し得ないことを伝えたかったのか。よく分からないが、観るべき映画ではあった。
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