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豆挽き豆すり器 [雑感]

 妻の用事で梱包用具店に行ったら、業務用の調理器具も多数置いてあった。

 懐かしかったのが「豆ひき豆すり器」だった。「味噌豆ミンサー」とも言うらしい。

 幼い頃は父方の祖父母と同居していて、味噌造りは毎年の行事だった。
 時期はちゃんと覚えていないが、大豆が手に入る秋頃なのだろう。味噌樽を洗い、煮た大豆を樽の壁に設置したこの豆すり器にいれて、ハンドルを回す。そうすると、大豆がつぶれてミンチ状になったものが出てくるのだ。このときの香りはとても良くて食欲をそそり、煮豆をちょっとつまみ食いしたものだ。あとは適宜、麹と塩を入れかき回して、蓋に重石を載せて樽を物置にしまう。食べられるようになるのは1年後だったろうか。物置は常に味噌のにおいがした。豆が完全につぶれるわけではないので、当時のわが家のみそ汁は、食べ終わると必ず粉砕した豆のかけらが残った。
 祖母が生きている間は、味噌を造ったり、漬け物を漬けたり、餅をついたり、そんなことが当たり前だったような気がする。その祖母は割と早く亡くなってしまったので、その後同じ習慣はなくなってしまった。祖父はもうやらなくなったし、わたしの母も現金収入を求めてパートに出るようになったからだ。
 ただ、祖父が生きている間は、なぜか秋口は、薪作りをするのだった。どこからもらってくるのか買ってくるのか、丸太がどんと積まれて、それを鋸で切って、まさかりと鉈で割るのだ。長男だったので小学校3年くらいから手伝いをやらされたような気がする。今から考えればとんでもない話のようだが、当時は当たり前だったのだ。薪は、乾かさないと良く燃えないのだがどうしていたのだろう。前の年の残り物から使っていたのかも知れない。寒さが厳しくなると石炭ストーブになる。
 ナイフについても寛容で、肥後守(ひごのかみ)という折り畳みナイフは大抵の男子の筆箱には入っていたのではないだろうか。わたしはもっぱら鉛筆を削るのに使っていた。これを喧嘩で使っている場面は見たことがない。だが、使うと殺人は簡単に出来る。

 昔を懐かしむ、というより、そのときは当たり前の事をやっているだけのようにしか考えていなかったわけで、今更戻りたい気持ちは全く無いが、時代はどんどん変わっているのだな、という感覚は大事にしたい。
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tyuuri

>shiraさん、niceありがとうございます。
>HIROMIさん、niceありがとうございます。
by tyuuri (2012-08-23 16:58) 

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