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1984年の初任給 [学校]

 岩波新書『現代ヨーロッパの言語』(1985年刊)を、本棚から取り出して開いたら、初任者当時の給与票が挟まっていた。

 日付は昭和60年(1985年)1月。当時は、(北海道では)初任者は30ヶ月昇級延伸の時代だったから、84年の着任当時と変わらない。本俸は2等級9号俸160,264円。
 これに、調整額、住居手当、通勤手当、特殊勤務手当(部活)、教員特別手当が着き、共済短期(健康保険)、共済長期(年金)、所得税、互助会、任意の財形貯蓄が引かれ、手取りは結局16万円ほどになる。そこから、校内控除(組合費、学校親睦会費、学年会費、部会費、教科会費、弁当代)が引かれると手元に残るのは13万円ほどだったろうか。
 そこから、部屋代、電気代、水道代、ガス代、電話代を払って、残りが食事を中心とする他の生活費だから、ほとんど何も娯楽はなかった。

 なぜこの本に当時の給与票が挟まれていたかだが、多分学校にこの本を持って行っていて、事務職員から渡された給与票を持ち帰るのに挟んだのだろう。そのまま、29年間忘れていたわけだ
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HIROMI

初任者の頃って、仕事に忙しくて遊びに行かなかったから給料が少なくてもどんどんお金が貯まりました。
by HIROMI (2012-04-22 21:39) 

ハマコウ

新任の頃はまだ現金給付でした
緊張して持ち帰ったことを覚えています
by ハマコウ (2012-04-22 22:06) 

tyuuri

>HIROMIさん、わたしは独身で外食が多かったので、車を買ったりしたら、財形以外何も貯金は残りませんでした。
>ハマコウさん、北海道は90年代半ばくらいまで現金給付だったと思います。事務職員が大変だったようです。給与票だけ妻に渡すようになったら、ご苦労様でも無しに、その辺に置いておいて、と言うようになりましたね。
>きりたんさん、niceありがとうございます。
by tyuuri (2012-04-23 17:36) 

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